遺伝カウンセリングが大事という意見に感じる違和感

 今回は、遺伝カウンセリングに関する誤解について取り上げます。

 以下の記事の中にも書きましたが、遺伝カウンセリングの中で『親になる責任』について理解してもらうということが新聞記事に書かれていました。

NIPTの調査等に関するワーキンググループ(第4回)が開催されました。 – FMC東京 院長室

 これについての違和感がずっと頭に残っているので、なぜこういう話が出てくるのか考えてみました。

 

 記事にどのように書かれていたかをもう一度記載しておきます。毎日新聞・2020年7月23日付の以下の記事です。

新型出生前診断、進むビジネス化 妊婦のフォロー顧みず、拡大の一途 – 毎日新聞

遺伝カウンセリングは、検査の目的や限界、親になる責任などについて理解してもらう重要な機会だ。」という記載があるのです。

 この話、どこから出てきたんでしょうねえ。遺伝カウンセリングを受けて、親になる責任について理解が進むでしょうか。

 調べていたところ、以下のようなものが見つかりました。というか、この存在は知っていたのですが、ああ、これとつながっているのかもと気づきました。

gc-png.jp これは、2014年度から2016年度の3年間、厚生労働省の科学研究補助金 疾病・障害対策研究分野 成育疾患克服等次世代育成基盤研究として、予算が振り分けられていたもので、研究成果は年度ごとに公表されています。例えば2015年度の成果報告は以下にあります。

全て表示|厚生労働科学研究成果データベース MHLW GRANTS SYSTEM

京都大学の小西郁生教授(当時)が研究代表者で、日本において出生前検査の議論に関わってきた、どちらかというと遺伝学分野寄りの錚々たるメンバーが研究分担者に名を連ねています。この研究班は3つの分科会に分かれていて、第1分科会では日本全国を網羅した出生前診断の登録システムの開発(そういえばこの関連の会議に出席した記憶があるぞ。2016年に試用研究していたようなんですが、その後どうなっているのか??まあ、ここではそれは置いておいて、、)、第2分科会では全国の産科診療における遺伝診療の標準化を目的とした活動、第3分科会では出生前診断の当事者となりうる人の生活環境に関する情報収集が行われました。

 この第3分科会の成果として、ダウン症候群をもつ人とその家族を対象としたアンケート調査結果が出され、話題になったことを記憶している方もおられるのではないかと思います。(当時これに異論を挟むことは憚られたので、このブログでも取り上げていなかったと思いますが、研究手法や結果の解釈に問題があってあまり科学的でないものだと思っていましたし、マスコミでの取り上げられ方の浅さにもがっかりしていたことを覚えています)

 今回のお題の遺伝カウンセリングについては第2分科会の仕事で、調査によって産科一次施設における出生前検査での説明内容が不足している可能性が示唆されたことより、産科一次施設で利用可能な情報提供ツール(リーフレット)を作成したということでした。そしてそのリーフレットが、上記リンクのページから入手可能で、全国の産科一時施設の医師が、これを使って統一した情報提供を行うことができるように配慮されています。日本産科婦人科学会のホームページにもリンクが貼られていました。

 が、このリーフレットが問題なんです。

まず、表題が、『親になるということ 〜おなかの赤ちゃんの検査(出生前検査)を考える前に知っておいてほしいこと』なんです。

 あれ?違うな。これ、できたときに研究班から私たちの手元にも送られてきたから、記憶にあるけど、なんかちょっと違うような、、、、よく見ると、これは両面印刷してから折りたたんで使用する形になっていて、本当の表題は、『妊娠がわかったみなさんへ 〜妊婦健診で行われないおなかの赤ちゃんの検査について〜』のはずです。この、親になるということ、という部分は、折りたたんだ際に中のページになる部分なんですが、印刷して折りたたむ前の段階ではこれがページの先頭のように見えるので、これを表題だと勘違いしたのでしょうね。でも、研究班のホームページにその勘違いのまま記載されているので、リンクを貼った日本産科婦人科学会のページ内にも、これが表題のように記載されています。作った人たち自身が間違っちゃったんですね。

 まあそんな細かいことはどうでも良いといえばそうなんですが、それにしてもこの『親になるということ』という話にページが割かれていて、たまたまとはいえ、これが全体の表題のように扱われてしまっている(そして、そのことに疑問を感じていない)あたりに、問題があるように感じます。

 リーフレットの内容自体は悪くないんですよ。研究班を組織して、内容についてはけっこう吟味されたんだと思うんです。Q&Aのあたりはちゃんとしてるんですよ。(個人的には、専門的な遺伝カウンセリングを行なっている施設を検索する先として、全国遺伝子診療部門連絡会議のホームページが紹介されているのを見て、門前払いを喰らった過去の記憶が蘇ってきて非常に胸糞悪いですが)

 しかしですねえ、あんまり大上段に構えて『親になるということ』などと言って欲しくないんですよ。こういうあたりに、日本で出生前遺伝学的検査をそどのように扱うかを議論している人たちの驕りを感じます。皆さん妊娠・出産を前に、「親になるとはどういうことか」なんて真面目に考えましたか?私は考えてませんでした。それに、考えたって簡単にはわからないことだと思うんです。

 私には子どもが二人います。二人ともすでに社会人となり独立していますが、正直に言って、この二人が生まれた頃の私は、親としてはたいへん未熟なものでした。まだ若かったし、子育てのノウハウなど持ち合わせていませんでした。振り返ると手探りで子育てをしながら、自分自身も成長させられたなあと思います。ほとんどの人はそうやって親になっていくものではないでしょうか。遺伝カウンセリングの場で、「親になるとは」などと話をされても、1時間やそこらの話で身にしみて感じられるとは思えません。それに遺伝カウンセリングでは自分の状況に合わせて、何を目的に検査を考え、選択するのか、それまであまり聞いたこともなかったような専門的な話も聞かなければならず、そのために時間が裂かれます。漠然と「親になるって大変なんだな」ぐらいには感じるかもしれませんが、実際には検査の結果悩ましい問題に直面しない限り、そこまで深く考えることにはつながらないのではないでしょうか。

 それに、遺伝カウンセリングを行う人たちに、『親になるということ』を話すだけの知識や経験が備わっているでしょうか。臨床遺伝専門医や遺伝カウンセラーは皆、親としてちゃんとした立派な人たちなんでしょうか。若いカップルを諭せるほどにちゃんと子育てしてきた人たちなんでしょうか。こどものいない人だっていくらでもいるだろうし、まだ年齢的にも若い人もいると思います。そういう人たちは遺伝カウンセリングを行う資格はないのでしょうか。

 妊娠の形にもいろいろあるし、カップルにもいろいろな形態があります。予定外に妊娠してしまったケースもあるでしょう。いろいろな事情でシングルマザーにならざるを得ない人もいます。世の中にはいろいろな人のいろいろな生き方があるということが、どのくらい想像できていて、どのぐらい許容されているでしょうか。

 ところがですねえ、学会認定のNIPTを実施する施設のほとんどが加盟している『

NIPTコンソーシアム』のホームページを見ると、その最初のページに、「母体血を用いた出生前遺伝学的検査(NIPT)」を考えている妊婦さんへ 日本医学会が認定する医療機関でのNIPT受験のお願い という文章があって、この中に以下の記載があります。

NIPTコンソーシアムの行った7,740人を対象にしたアンケート調査によると、検査前に遺伝カウンセリングを受けることで「子どもを持つということについて改めて考える機会になった」と90%の妊婦さんが、また、「遺伝カウンセリングは必要である」と91%の妊婦さんが回答されています。

 まあなんというか、またアンケート調査なんですが、質問内容や回答の選択肢が恣意的なのではないかという気配がすごくするんですが、「子どもを持つということについて改めて考える機会に」なることが、遺伝カウンセリングを行なった効果として望ましいことだという考えが根底にあるようです。それにしても9割もの妊婦さんが、遺伝カウンセリングを経ることで、「子どもを持つということについて改めて考え」ておられるとはすばらしいことですね。どんなすばらしい人生経験を経た人たちが遺伝カウンセリングを行なっておられるのか、是非知りたいところです。NIPTコンソーシアム加入施設は全国に散らばっていて、施設によって遺伝カウンセリングの時間にも差があったりして、必ずしも均一ではないことが別の調査でわかっていますし、遺伝カウンセリングの担当者もベテランの先生のところもあれば、最近臨床遺伝専門医の資格を得た若手の医師のところもあると思うのですが、この点についてはすごく効果が出るんですねえ。

 こういった一連の流れを見てくると、どうも出生前検査・診断の議論をリードしている立場におられる偉い先生たちの中に、一定数、「『親になる責任』『子どもを持つということ』をしっかり考えて妊娠・出産に望むべきだ、そういうことを理解していないまま検査を受けるべきではない。」という思想のようなものがあるように感じます。そういえば、学会などで議論をする際に、「検査を安易に受ける」とか、「安易な選択」「安易な中絶」とかといった表現の言葉を耳にすることがあります。そういう言葉の裏には、「けしからん」というような気持ちが潜んでいると思います。なんだか、年長者が若い世代を教え諭すという態度と感じます。それは本来の遺伝カウンセリングの姿勢とは違っています。こういう表現をする医師は、「面倒な遺伝カウンセリングは受けたくないと言って、簡単に採血してくれる認可外施設を安易に選択する」という言葉で、認可外施設で検査を受ける人を非難します。でもね、『遺伝カウンセリング』と称して、夫婦で来るようにと言われ、『親になるとは』なんて講話聞かされるんだったら、そりゃあ行きたくないと思いますよねえ。私だって嫌ですよ。悪い言い方をすれば、遺伝カウンセリングの場が、なぜかそういう窮屈な場になってしまっていることも、認定外施設に人が流れることにつながってしまう原因の一つになり得るのではないかとさえ思ってしまいます。

 認定施設で「ちゃんとした」遺伝カウンセリングを受けてきたという方に、もう遺伝カウンセリングはいいと言われてしまうことがあります。それでも検査前の理解のために、短時間でもおさらいの機会として利用していただくよう促し、実際にきていただいて話をしてみると、あまり伝えるべきことが伝わっていないように感じられることや、後で伺ってみると話の内容や進め方などが全然違ったという感想が聞かれることもあります。もちろん、いろいろな手法があって良いとは思うのですが、本当にきちんと話し合いの場が持たれているのか、疑問に感じることもあります。『遺伝カウンセリング』が大事だ、という論調はよく聞かれますが、重要と言われているそれが、本当にこれから検査を受けようとしている妊婦さんたちにとって、また、検査の結果次第で次に検討しなければならないことに直面している人にとって、意義のある場となっているのかなど、検証が必要なのではないかと思っています。

 NIPTの国内導入以来、その実施の仕組みを検討し、より良い検査体制を構築しようと努力してきた人たちの取り組みは、評価されて然るべき部分はあると思っています。この取り組みの中で、『遺伝カウンセリング』という言葉が一般にも知られるようになり、定着した感はあります(残念ながら”遺伝子カウンセリング”と言う人にも時々出会いますが)。そんな中で、この言葉だけが一人歩きし、実際にはそれはどういうものなのかということについて、少し誤解があるのではないかと思われるようなことが、一般にも、また時には専門家の中にも存在しているように感じられます。遺伝カウンセリングが重要だとか、遺伝カウンセリングの機会が提供されていることが大事だとかという言葉はマスコミ報道などでもよく目にするのですが、そこで使われている『遺伝カウンセリング』という言葉の内容が誤解されていては、本当に大事なことを見失うことにつながるのではないかという危惧もあります。

 少なくとも私は、遺伝カウンセリングの場で、年長者が若い世代を教え諭すような、あるいは専門家があなたはこうするべきと決めてしまうような、そういうことがあってはならないと思っています。