9割が中絶という数字、どう捉えられているのだろうか

3月には連投していたこのブログ、その後日本産科婦人科学会の準備などもあって、放置状態になってしまっていました。本来であればこの学会の話題を記しておくべきなのでしょうが、いろいろと忙しくなってブログを更新する時間があまり取れず、、、気づけば今月はこの記事が最初となってしまいました。。

さて、NIPT新指針についてまだまだ落ち着かないなか、学会あけの今週月曜にAbema primeで以下の話題が取り上げられていました。以前から交流のある、NPO法人「親子の未来を支える会」代表の林伸彦医師が出演するという連絡を受け、リアルタイムで視聴しました。

abematimes.com

この番組の中で、なんといっても感銘を受けたのは、取材に協力され且つスタジオ出演もされたY夫妻が、それぞれの心の葛藤や夫婦間での話し合いの様子、出産後の生活のリアルな部分を正直に語られていたことでした。そして、人それぞれにいろいろな考えがある中で、司会の竹山さんが偏りのない立場でバランスよくまとめておられたことが印象的でした。林医師も、落ち着いた態度で今伝えるべきことを上手に伝えようとしておられ、番組のコーナー全体として好感の持てるものでした。彼にあとで話を聞いたのですが、実は他にも伝えたいことがあっていろいろと準備をしていたので、それを話す時間がなかったことを残念がっておられましたが、そう一度に全て思ったようにはいかないだろうし、初めてのテレビ出演としては上出来だったのではないかと思います。

そういった中、なんとなくひっかかったのは、見出しとして使われている“9割が中絶選択”という言葉でした。この言葉にはどういう意味があって、この言葉を耳にする人たちにどのような印象を与えているのだろうかということについて、素朴に知りたいと感じるのです。

まず、「9割が中絶を選択」と言った場合に、その比率について「多い」と思うのでしょうか、それとも「そんなものだろう」と思うのでしょうか。報道などを見ると、「多い」という観点からのものが多いような印象を受けますが、それは例えば以前と比べて増えているのでしょうか、減っているのでしょうか。

この数値が「多い」と思う人は、それではどうなることが理想的だと考えておられるでしょうか。どの程度の数値ならちょうど良いのでしょうか。それともゼロを目指すべきとお考えなのでしょうか。

この9割という数字は、NIPTでダウン症候群の疑いが強いと判断された後に、羊水検査で確定した方についての数字ですが、それ以外に例えば超音波検査で胎児の異常を指摘された場合には、どういう数字になるのでしょうか。

胎児になんらかの異常があると診断された場合に、その妊娠を継続するのか、中絶を選択するのかは、その胎児の病状にもよると思いますし、将来的にどういう障害が残るのか、どの程度生活面での問題があるのかなどの情報が、どの程度明確になるのかによっても左右されることと思います。また、その障害の程度がわかっても、それに対してどういったサポートがあるのか、社会の受け入れ態勢はどうなのかなど、様々な問題があり、それらを全て明確に説明することは、出生前はもちろん、出生後も容易ではないことだと思います。だから、個々がそれぞれの生活状況や信条に基づいて、それぞれに合った結論を出していく作業が必要で、遺伝カウンセリングの役割はまさにそこにあるわけですが、遺伝カウンセリング体制が充実したからといって、この数字が変動するわけではありません。この数字はむしろ、それぞれの当事者が所属する社会の現状やありようによってかわるものだと思います。また、医療技術の進歩によっても変化する可能性があるでしょう。

皆さんは、どういう思いでこの数字を耳にしておられるのでしょうか。実はあまり深くは考えないで、なんとなくの印象で捉えておられる方が多いのではないでしょうか。一度立ち止まって考えていただけると良いのではないかと思います。

もう一つの問題は、この数字の報道が、人々にすんなりと受け入れられているのかという疑問です。どこが疑問なのかというと、胎児の異常を理由に人工妊娠中絶を行われることが当然のことのように語られていることです。

母体保護法第14条では、医師の認定による人工妊娠中絶の要件として、

・妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れのあるもの

・暴行もしくは脅迫によって又は抵抗もしくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの

の二項目となっていて、胎児の異常を理由とした妊娠中絶には言及されていません。この「胎児条項」が含まれないことは、かなり以前から議論になることがあったのですが、長い間そのままにされているのです。

それでは、出生前検査の結果判明した胎児の異常に基づく人工妊娠中絶は、どのような理由付で行われているのかというと、そのほとんどは「経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れ」があるという、いわゆる「経済条項」にあてはめて、容認されてきました。

この母体保護法という法律は、特殊な法律で、人工妊娠中絶を行う権限およびその要件に適合するかどうかの判断が都道府県医師会が任命する「母体保護法指定医」に委ねられており、専門職としての指定医の判断が全てです。指定医は重大な役割を委ねられているので、各都道府県医師会では、各指定医が違法な手術を行わないよう報告義務を徹底し、定期的に講習会を開いて、質の維持に努めてきました。この体制のもと、実際には胎児の異常が理由でありながら建前上は経済条項を理由とした人工妊娠中絶は、暗黙の了解事項のような扱いで行われてきたわけです。そして、この暗黙の了解のもとでこれまで胎児の異常を理由に中絶していても堕胎罪に問われたようなケースは一つもないにも関わらず、医師たちの中には今でも胎児の異常を理由とした中絶は法的に認められていないという主張をするものがいたりするので、学会などでもいつもデリケートな話題として扱われてきましたし、医療現場でも医師からそのように言われた妊婦さんがおられるようです。

しかし、このような微妙な状況にあることについては、一般の方たちにはあまり知られていないと思われます。そして、最近の報道で、普通に「ダウン症候群と診断された胎児の9割が中絶」と書かれていても、この方面から違和感を感じている人はあまりおられないのではないでしょうか。世間的には、胎児になんらかの問題があったら、中絶も選択肢として考えるという感覚の方が多いのではないでしょうか。

私には、この「まあなんとなくわかってるよね」的な、穏便に済ます的な扱いでなあなあにしている状況が、気持ち悪くて仕方がありません。

母体保護法の問題は、この他にも、配偶者の同意を必要としているという点について、国連の女子差別撤廃委員会から問題視されていることは以前

妊娠中絶について、きちんと議論すべき時が来ている。 – FMC東京 院長室

にも記載しましたが、この他にも

・人工妊娠中絶が、女性の意思や選択に基づくものではなく、医師の認定による。

ことや、

・多胎の減数手術についての言及がないため、事実上、日本ではこれを行うことができない。

こと、

・中絶が可能とされる時期が、妊娠22週未満と(法律では規定されていないが、厚生事務次官通知によって)規定されている。

ことなど、議論すべき問題点が多いです。

この法律が制定された当時と比べて、出生前検査・診断や、生殖医療は格段に進歩してきました。平成も終わり、新しい令和の時代になる今こそ、しばらく放置されていたこれらの問題に真剣に取り組まなければならないと感じています。