このところブログの更新の進みが悪く、またしばらくぶりとなってしまいました。実は、NIPTを含む出生前検査の新たなしくみを厚生労働省主導で作ろうとしている件に関して執筆していたのですが、22年前の厚生省課長通知のあたりから振り返っていろいろ頭を整理しているうちに、内容がもう完全に専門家向けというか、私が是非ブログを読んでもらいたいと思っている一般の方々向けではなくなってしまったので、どうしたものかと思っていました。それでとりあえずこの話は、今回静岡県の医療・行政担当者向けに行った講演に使用することにしたのですが、まあそれでも一般の方々にも知っていただきたい部分も多々あるので、いずれは公開できるようにしたいと思っています。
今回は、無認可NIPT施設についてとりあげます。いま私たちは、厚労省の専門委員会の結論に基づいた出生前検査の実施のしくみが運用されることを目の前にして足踏みを続けているわけですが、同じような立場の専門家(たとえば産婦人科医で臨床遺伝専門医でもあるが、施設基準などの問題でNIPTを扱えずにいる人など)が連絡を取り合って、今後どのように対処していくか、相談を続けています。このグループで最近話題になったのが、無認可NIPT施設の急速な広がりと、宣伝戦略です。
NIPTを行うクリニックの後ろには、商売の専門家がいる。
多くの無認可施設、とくにチェーン店のようになっているところの本体は、医療者ではありません。商売のプロです。いま、どういうニーズがあって、それに合わせてどういう商品を売れば儲かるか、が基本です。そういう商売のプロが目をつけたのが、NIPTでした。なんといっても、本来の専門家であるはずの産婦人科医が、学会に規制されて検査を扱うことができない中、そういった業界内の縛りとは無縁である彼らにとっては、違法でないのならこれほどおいしい商売のネタはありません。妊婦さんは全国にいて、必ず産婦人科に通院していますから、産婦人科医がこれを普通に扱っているなら、手の出し用がなかったのです。わざわざ他所に行く必要などないのですから。でも、いつもかかっている産婦人科ではできないなら、できる場所に行くしかありません。
インターネットが普及していない時代なら、学会が規制することは容易でした。なぜなら妊婦さん達が情報を得る場が、産婦人科の医療現場に限定されがちだからです。しかしいまやインターネットの時代、検索やSNSから、医師から聞かなくてもいろいろな情報が手に入ります。問題点は、その情報の信頼性です。
商売のプロは、売ろうとする商品を魅力的にみせたり、自分のところで買うのが一番良くてお得と思わせたりすることが得意です。ネット上の広告戦略やこれらを用いた誘導はお手の物です。
NIPTは良心がなければ手軽に扱うことができる検査
彼らにとって都合が良かったのは、NIPTが、血液を採取して検査会社に送るだけで、医療機関側としては特別な技術はなにもいらないことです。そして、圧倒的多くの方が、『陰性』の結果を受け取ることが明らかなので、問題が生じにくいことです。しかし、彼らは商売のために、この種の検査の先進国でさえまだ一般的検査とするには時期尚早とされている検査項目まで、平気で扱っていますので、その検査結果をどう解釈するかや陽性が出た場合にどう対応するべきかなどは、よくわからずにやっているとしか思えません。この種の検査は、遺伝学的検査ですので、本来ならば専門的知識に基づいて、きちんと説明ができる人間が扱わなければならないものです。人の遺伝情報というものは、究極のプライベート情報ですし、胎児のことを調べることは、その胎児の一生にかかわる、そして家族みんなにも関係することにつながります。どれだけ慎重に扱わなければならないか、考えればわかることだと思います。また、胎児の染色体情報や遺伝子情報についての検査の結果から、その妊娠をその後どのように扱っていくのかという問題は、長年に亘って倫理的側面からの議論が続いているのです。しかし、こういった検査でさえ、商売のネタにする人たちにとっては、金儲けのネタでしかありません。そして、難しい問題は丸投げします。あとは医師がなんとかするだろうといったところです。
無認可施設が行っているさまざまな検査の結果の解釈が、いかに複雑で注意が必要なものかということは、このブログでも何度か取り上げてきました。この難しさに関しては、残念ながらほとんどの産婦人科医もよく理解していません。ましてや、産婦人科ですらない妊婦や胎児を診療したこともないような医師にわかるわけがありません。
医師にはそれぞれの専門分野がある
多くの人たちは、医師ならば一定の教育をうけて皆同じ知識と技術を備えているものだと考えておられるようです。難しい国家試験をうけて、通ってきているのだから、皆それなりにわかっているはずだと思われるのでしょうか。しかし、医学というものはそんな甘いものではありません。医学の世界には数々の分野というものがあるし、各分野それぞれに年々新しい知識・技術が加わってきます。この広大な医学の世界のすべてにわたってカバーすることは不可能です。たとえば私は、胎児診断については専門ですし、長年やってきたお産は今でももちろんできますが、麻酔科の修練はもうだいぶ前のことだし、救急の研修はやっていない時代でしたので、街中で突然倒れた人を救命できるかどうかというと、若手の医師のようには動くことができず、救える命も救えない可能性があります。先日、とあるテレビドラマで、厚労省の医系技官が救命救急チームに加わっていて、エレベーター内で妊婦の診察をして判断した上に、帝王切開を行うという、もうめちゃくちゃなストーリーがありましたが、あんなことできるはずがありません。(ドラマを作っている人たちや、見ている人たちは、どう思ったのかなあ)
遺伝学の世界におけるこのところの進歩は、非常に早い速度で変化をつづけています。これまでわからなかったいろいろなことがどんどんと解明されるとともに、これまで大まかに理解されてきたことがもっと詳細にわかるようになると、解明しなければならない新たな課題が表出するということが、次々におこります。この進歩によって、医療も大きく変わりました。最近では、遺伝学の進歩によって悪性腫瘍の治療戦略も変化し、以前には不治の病と考えられていたものが、完治するようになったものもあります。そんな中で、胎児の遺伝学的検査・診療もどんどん進みます。NIPTは、妊婦や胎児を診療したこともなく、妊娠の基本的な知識もないような医師が扱えるような検査ではそもそもないのです。
適切な検査につながることもできなくなる危険
現在、いくつかの無認可施設では、NIPTで『陽性』判定が出た際に、確定診断のためにうける羊水穿刺・染色体検査に関して、その検査料金をクリニックが負担しますという方針にしています。日本では、この種の検査の料金が高いので、妊婦さんにとっては大きな負担になるし、しかしこの確定的な検査を行わないままにNIPTの結果だけで中絶を選択されてしまうと、大きな問題になります(なぜなら、それなりに偽陽性があるから、胎児には異常がない可能性もけっこうあるのです)。羊水穿刺を自分たちのところではできない無認可NIPT施設では、できない検査をやらなければならない状況をつくっておいて、あとは放置というのではあまりに無責任と批判にさらされることを回避する目的もあって、そういう方針を考えたのでしょう。あるところがこれをやるようになったら、他のところも追随せざるを得ません。
というわけで、たとえば無認可施設でNIPTをうけて『陽性』結果を受け取った方が、当院で絨毛検査や羊水検査をお受けになった際には、当院に支払った領収書をもとの施設に持参すれば、その分の料金を受け取ることができるということになっていました。
ところが、彼らは普通の検査しか想定しておらず、私たちが検査結果によってはより料金が高くなる細かい検査を行うことに対応してくれないところがありました。あるグループでは、現在日本で一般的な染色体の検査方法である、G分染法の分しか料金を出さないとしていましたし、また別のクリニックでは以前はどのような検査についても支払いをしてくれていたのに、最近になって、当院で検査を受けた場合にはその料金の還元の対象にはならない方針にしたようなのです。まるで、当院が不当に高い料金の検査を行なっているかのような扱いです。
しかしこれは大きな問題です。彼らが扱っている検査は、単純なものではありません。たとえば通常であれば生まれてくるはずのない、21番・18番・13番以外の常染色体のトリソミーが陽性になった場合には、通常のG分染法を行うだけでは得られる情報は不十分です。G分染法で正常核型であれば単純に問題なしとしてしまってはいけないのです。なぜなら、低頻度モザイクが隠れている可能性もあり得るし、染色体番号によっては片親性ダイソミーによって胎児に問題がおこることもあるのです。それなのに、その知識も十分になく、ただただ普通の染色体検査だけを行なって終わりにしてしまうような施設での検査しか認めないという態度は、まさに知識の欠如を露呈しているばかりでなく、結局は妊婦さんのために必要なことに目を向けず、商売優先でしか考えていないことがよくわかります。
いま、この商売優先のグループがリクルートした無認可でNIPTを扱うクリニックが、全国展開でどんどんと増えています。そして彼らは、検査で得た収入を使ってホームページに誘い込む宣伝戦略を充実させ、あたかもきちんとした情報提供を行なっているかのように見せかけたり、まるでニュース記事のような体裁の情報提供サイトで自院に高評価をつけてマッチポンプ式集患をおこなったりしています。これは大問題です。こんなおかしなことになっている国は日本以外にはないでしょう。厚労省の舵取りで軌道修正が果たして可能なのか、私はたいへんな危機感を持っています。