当院での超音波検査の質と、カウンセリング体制、医療連携への取り組みをご評価いただいて、いろいろな医療機関から診療依頼がくることは、たいへん嬉しいことです。地道に続けてきたことが、大学病院を含む多くの施設のお医者さん達から、高くご評価いただいているものと自負しています。
当院を受診される方が、みな出生前検査を積極的に希望しておられるわけではありません。中には、あまり積極的ではなかったけれども、妊婦健診で気になるところがあるということで、紹介されてきたという方も一定数おられます。ある程度妊娠週数が進んでから来院されますので、それまでに受けてきた検査内容などについて、問診で伺うと、「出生前検査は受けない。」と夫婦で決めたので、特別何の検査もしていません。という方が時々おられます。
もちろん、どういった検査を受けるかという点については、あくまでもご本人の選択で義務ではありませんので、いろいろな選択があって然るべきとは思います(血液型や感染症などの基本的な検査は、受けていただかないとお産が扱えないということで、診療を拒否される可能性がありますが、いわゆる”出生前検査”に類するものは、全員が受けるべきものという扱いにはなっていません)。ただ、少し気になるのは、そういう選択をされる際に、「出生前検査」とはどういうものかということへの理解が十分ではない可能性があるのではないかという点です。
何を知りたくて何は知りたくないのか
例えば先日来院された方の場合、少し古いタイプのスクリーニング検査はお受けになっていて、そこで「陽性(染色体異常の可能性が高い)」という判定が出ているにもかかわらず、確定するための羊水検査はお受けになっていなかったので、「なぜ羊水検査はお受けにならなかったのですか?」と聞いたところ、「どんな子でも産むと決めているので、受けなかった。」とおっしゃったのです。いや、じゃあそもそもなぜスクリーニング検査はお受けになったのか?なんのための検査と考えておられたのでしょうか。結論が曖昧なままどういうお産に望むおつもりだったのでしょう。しかしこれは、単に本人の認識不足というだけでなく、主治医の説明不足という側面も問題視する必要があるでしょう。行おうとしている検査が、何を目的としていて、どこまでわかるのか。検査の結果をどう解釈して、次に何を行うべきか。検査を実施している医師自身にもきちんと説明できるだけの理解がなかった可能性もあります。
このようなケースはやや特殊ですが、これ以外によくあるのは、「どんな子でも産もうと決めている」から、「出生前の検査は一切受けない。」とおっしゃるケースです。よく言われる『命の選別』を、良しとしないという判断なのでしょう。マスコミで出生前検査・診断の話題が取り上げられる際に、ほとんどの場合『命の選別』につながるという書き方がされているし、染色体異常を調べて、それがわかった結果何%の人が中絶を選んでいるというような取り上げられたかがほとんどなので、どうしても、検査を受けること=命の選別をすること、と捉えられている事が多いように思います。『出生前診断』という言葉が、一律の捉えられ方しかされないために、一般の方々の認識も、どうも狭い捉えられ方しかしていないのではないかと感じるのです。だから、「どんな病気があろうと産む」と決めているなら、「出生前検査は受けない。」事が正しいと考えられてしまうようです。
出生前検査は、もっと幅広く捉えられるべき
しかし、長年出生前診断に取り組んできた立場から言わせていただくと、一切検査は受けないという選択は、明らかに誤りです。例えば、お子さんに染色体異常が存在するなら、いくつかの症状があるはずです。心奇形を伴っていることもあるでしょう。そういった情報があらかじめ得られていないまま出産に臨むことが、果たして安全でしょうか。心臓に病気のあるお子さんが、小さい産院で生まれてきて、生まれるなり状態が悪くなったら、大慌てで新生児管理が可能な病院に搬送しなければなりません。周産期センターに連絡して、救急車を依頼して、病院に到着するまでの時間は、その場にある限りの設備を使って、なんとか酸素投与をしつつ時間稼ぎをしても、適切な処置になっているのかさえわかりません。病気のある赤ちゃんが、初めから周産期センターで十分な妊娠管理と新生児科医の待機のもとで生まれるのと、産科医一人の施設で生まれてきて、状態が悪くなって大慌てになって搬送されるのとでは、その後の治療成績も大きく違ってきます。どんな命でも大事にしたいなら、あらかじめきちんと胎児の情報を得ておいて、それに基づいてどこでどのように生まれてくる事が一番良いのか計画しておくことは何より大事です。
いやそれは、妊婦健診で見つけて貰えば良いでしょう、と考えている方がおられるかもしれませんが、それは違います。まず、妊婦健診ではあまり丁寧に胎児を観察することはありません。妊婦健診では胎児を徹底的に観察することは求められていませんし、産科医だからといって皆が胎児の診断に精通しているわけではありません。だから、病気が見つからないまま、生まれてきてから病気があることがわかるケースはかなり多いのです。それに、胎児に病気がないかどうか確認することもやはり「出生前検査・診断」です。もともと一切出生前検査は受けないとお考えなら、超音波検査(特に胎児を観察する精密な検査)も受けないということになります。妊婦健診の時の超音波検査が、どこまで「出生前検査・診断」で、どこまでがサービスなのか、どのあたりが妊婦の診察でどこからが胎児の観察なのか、その境界が曖昧なためにわかりにくい面もあると思いますが、胎児を超音波を用いて観察している時点で、その精度にはばらつきがあるとしても、それはすでに出生前診断の一部なのです。
出生前診断で、生まれてくる前からの準備に繋げる
私たちは長年、胎児をよく観察して病気を見つけ、その治療戦略の一環として分娩方針を決め、関係各科(小児科、小児外科、小児心臓外科、麻酔科など)と情報交換して、万全の準備で出産に臨むという作業を行ってきました。私たちにとっては、これこそが出生前診断でした。だから今、多くの方が、なんとなく『出生前診断=命の選別』と単純に図式化されたイメージをお持ちであることに、違和感を感じているのです。
もちろん、出生前診断の結果、中絶の選択に至るケースもたくさん扱ってきました。だから、出生前診断が命の選別につながるという意見・考えも否定するつもりはありません。しかしそれは出生前診断の一側面です。それだけが出生前診断ではないということを知っていただきたいのです。
私は、妊娠した胎児を産んで育てるかどうかについては、妊娠している女性が決めることが妥当だという考えです。人それぞれに事情もあれば考えもあると思いますので、妊娠している本人が自分で決めることができるのが一番いいのではないかと考えています。しかし、決めるためにはその結論に至るために必要な情報提供をきちんとされなければなりません。正しい客観的な情報に基づいた結果でないと、誤った選択をしてしまったと後悔することにつながりかねません。だから、できる限りきちんとした情報を得ることができるよう、受けるべき検査はきちんと受けていただきたいのです。
だから、「どんな子でも産んで育てたい。」と考えている方の選択として、「検査は受けない。」という結論は、正しい選択ではないと思います。そうではなく、検査はきちんと受けて、その結果に基づく行動の選択を自分なりに考えることが正しいと思うのです。わからないままにしておくのではなくて、わかった上で自分はどうするのか、産むのか産まないのか、というように考えてもらいたい。それが本当の選択だと思います。
例えば米国で、長年続いている「プロライフ」と「プロチョイス」の論争、中絶の是否についての対立の構図は、こういう考えの人もいれば一方にはこういう考えの人もいるんだなと理解することができます。しかし、命の選別につながるからという論理で検査そのものを否定することには、どうも違和感があるのです。だから、胎児の超音波検査をわざわざ妊娠22週以降になってから行うことにしている病院や、出生前検査を検討していることを表明した妊婦さんに対して厳しい態度や冷たい反応を示す医師たちが存在することにも、しっくりこない感覚を持っています。