前記事でとり上げた日本超音波医学会第93回学術集会。私自身も演題を2題発表しました。そのうち1題は、妊娠初期の胎児染色体異常スクリーニングに関するセッションでの「注目演題」、もう一題は、胎児の心臓の検査に関するものです。この学会はweb開催になったため、リアルタイムでの質疑応答はなかったのですが、事前収録の形で質疑する時間があり、自身の発表の他にも「出生前診断の現在と将来」というセッションに、ディスカッサントとして参加しました。これらの議論の過程で、現在ある問題点や新たな課題などいくつか感じるところがあったのですが、ここでは、他の施設からの発表とそれに対するやり取りの中で、気になった話を一つとり上げたいと思います。
私も発表者として参加した、胎児の心臓の検査についてのセッションでの話です。ある大学病院の産婦人科から、18トリソミー児の心奇形についてまとめた発表があったのですが、ここでとり上げられていた4症例の全てが、出生前には染色体検査を行わなかったという話がありました。これらのケースがこの大学病院に紹介来院されたタイミングは、妊娠22週から33週の間に分布していました。いずれのケースも、18トリソミーが疑われる根拠となる心臓以外の問題も合併しており、出生前に染色体を確認するための羊水検査を行うことは可能な時期のはずです。
座長を務められた別の大学病院の医師も、この点について疑問に思われたようでした。通常は、これから生まれてくる胎児の状態に関する情報は、きちんと取得できていた方が出生後の管理にも役立つはずなんです。だから、生まれてきた赤ちゃんを管理する側の小児科医からも、調べておいてほしいと要望されることが一般的だと感じるし、自身の施設では検査を行うことが普通なので、4例全てが検査を行っていないというのは、小児科側の姿勢によっても違いが生じるのだろうかという疑問を呈されました。これに対する発表者の回答は、「あくまでも妊婦さんと家族の希望に沿って決めていることなので、みなさん希望されなかった。」というものでした。この点については、私も座長の先生と同じ違和感を覚えました。
18トリソミーが疑われる胎児の周産期をどう扱うか
18トリソミーの胎児に対する周産期における扱いには、医療機関による違いが存在します。先日話題にした厚生労働省の専門委員会でプレゼンのあった、以下の資料からも、その扱いの変遷や違いがわかります。
https://www.mhlw.go.jp/content/11908000/000696768.pdf
このブログでも、以下の記事にとり上げています。
18トリソミーに関連した議論に感じる違和感(1) – FMC東京 院長室
18トリソミーに関連した議論に感じる違和感(2) – FMC東京 院長室
これらの記事で取り上げたような経緯から、18トリソミーのお子さんに対する管理や治療を積極的に行う立場の医師たちは、18トリソミーという診断名だけで、積極的な治療を行わないことに対する問題意識をお持ちのようです。医療機関によっては、重い病気のある新生児については、『看取り』という選択肢を提示するところもありますが、どのような診断であろうと、やれることはやるという姿勢の医師からすると、その選択は、見捨てることのように感じられるのかもしれません。
ただ、胎児・新生児の命を再重要視する立場の方の主張を耳にするとき、ある程度育っているケースしか見ていないのだろうなと感じることもあります。18トリソミーでは胎児期に亡くなるケースもそれなりにありますし、やはりどう考えても治療まで持っていけないだろうと思われるケースもあります。そんなケースでも、胎児のサイズが小さく、陣痛に耐えられなければ、胎児の命を最優先した場合には、帝王切開分娩が選択されることになります。帝王切開は、多くのかたが経験してこられた手術だし、手術としてはそう難しいものでもなく、すごくリスクの高いことではないとはいえ、やはり母体にとっては大きな負担ですし、実は油断しているとそれなりのリスクを伴う手術でもあります。将来(次回以降の妊娠)への影響もありえるので、産科医なら可能な限り経腟分娩を選びたいと考えます。母体と胎児の生命の重要性を天秤にかける問題は周産期医療の永遠のテーマで、この判断に極端な偏りがあってはいけないのです。難しい問題ではありますが、どちらかに極端に肩入れするのではなく、冷静に天秤にかける必要があると思います。
羊水検査を受けない選択はなぜ生じるのか
出生前に染色体検査を行わない選択は、判断材料を一つ減らした状況になることを意味します。発表者の医師は、「(胎児の)ご両親の希望に基づいて」決定している事項と言われていましたが、他の施設では逆にほぼ全てのケースでこの検査が行われているところもあることを考えると、ちょっと極端で意図的なものを感じざるをえません。意図的に検査に進まないように誘導しているようにも感じられます。このあたりの方針決定(患者の意思確認)には、医療者側の説明内容がかなり影響するからです。
しかし、発表者の施設の医師たちから見ると逆に、染色体検査を積極的に行なっている施設は、医師が検査に誘導しているので良くないと思えるかもしれません。ある県の大学病院では、高齢を理由に羊水検査の相談をされる方の遺伝カウンセリング後の選択として、結局検査を受けないことを選択される方がかなり多く、その分野の大御所的立場の先生が、「『中立的な』遺伝カウンセリングを行うと結果はそうなる。」と豪語されていたことを覚えています。だから他の施設はきちんと中立的な遺伝カウンセリングを行えていない可能性があるという主旨の発言でしたが、その施設だけが他と極端に違うことについて、自施設だけがきちんとしているという主張は、私には横暴に感じられました(実際に、地元では検査を受けにくい雰囲気だったので東京まで来ましたという方を、何人もみています)。もちろん、一般的な風潮が、放置しておけばなんでも検査したがる方向に流れてしまうということに危機感を持っておられることは理解します。しかし、多くの医療者が医療を行う上で必要と感じている情報収集に関わる部分まで制限してしまうとなると、それは行き過ぎではないかと感じられるところもあります。
医師が患者を治療する上において、治療の戦略を練るための情報は、できることなら手に入れておきたいというのは、医師ならば普通に考えることだと思います。私なら、もし妊婦さんが染色体については調べたくないと言われても、その必要性について説明を重ね検査を受けていただけるようお勧めするでしょう。それでも意思が固ければ諦めるという感じになるでしょう。これまでの経験からは、検査を拒否する方は少数派でしたので、4人が4人とも検査を受けていないというのは、やはり何か意図的なものを感じます。あくまでも想像ですが、羊水穿刺に関するネガティブなイメージが強調されているのではないでしょうか。検査に伴うリスクについて強調して説明している医師が一定数いることは、時々耳にします。日本ではその傾向が強いと感じています。また、羊水穿刺をお受けになる方の多くが胎児に針があたることを心配されているのですが、それは心配に値しないことを丁寧に説明している施設は少ないようにも感じています。一方で、胎児の生命を救うために、母親は帝王切開を受け入れることになります。帝王切開手術の母体へのリスクについては、少し甘く説明されてはいないでしょうか。
自己決定の支援の難しさ。思想信条とルールとの狭間で。
実は18トリソミーは、超音波での胎児診断率の高い染色体異常です。海外からの報告では、妊娠中期の超音波検査でほぼ100%発見できるというものがいくつか出ています。その上、NIPTによってより早い時期に発見されるようになりましたので、多くの先進国では、今や18トリソミーの出生はかなり減少していることと思われます。一方、日本では、NIPTもそれほど普及していないし、超音波検査もシステマティックには行われていません。妊娠中期の胎児超音波検査を特に行なっていない施設も多くあるし、行なっていてもわざわざ22週を過ぎてからにしている施設もあります。その結果、他の先進国ではあまりみられないほど多くのケースが実際に出生しています。このことは、治療を積極的に行なった結果、退院して自宅管理できるケースが増加するなどの一定の成果につながっている面もあり、この国独自の戦略で新生児医療の発展に寄与する部分もあると思います。ただ、残念ながら現在の新生児医療の戦略では限界もあり、致死性も高い側面から、医療リソースをどこまで割くべきかという意見もあることでしょう。やはり、染色体が一つ多いという事実そのものに対する治療法(例えばその一本の染色体の働きを止めるなど)が開発されない限り、ダウン症候群並みに長期生存できるところまで持っていくことは困難でしょう(ダウン症候群でも、やはり同様の治療戦略がない現状では、いろいろと限界を感じざるをえませんが)。医療者と患者家族が、治療の目標をどこに定めるかという問題、これは、重篤な疾患や終末期医療など医療のさまざまな局面において必ず出てくる問題と実は類似の問題なのだと思います。答はいくつかあって、でもどれが最善の答なのかはまだ明確に決め難いのです。そのうちの一つの答だけを絶対視して追求する姿勢は、この社会の全ての人に適用できるものではないでしょう。
より良い治療法・管理法を検討・開発していくことは、大事なことだと思うし、実際に産まれてきて生きていこうとする子どもたちには、しっかりと生きていける環境を整えてあげられる方策を練るべく、力を注ぐ必要があると思います。しかしそれは、全ての18トリソミーの受精卵に対してそうしなければならないことなのか。現実に人工妊娠中絶が数多く実施されているこの国で、厳密には胎児の異常を理由とした妊娠中絶は母体保護法上の中絶実施可能条件には含まれていないから、胎児の異常については積極的に調べるべきではないという姿勢を貫くことが正しいのか。この議論は、まだまだ難しい問題を孕んでいて、簡単に結論は出せないとは思います。ただ、現状でどう対応するかという点においては、私は、やはり個々人の思想・信条の違いを尊重しつつそれぞれの人の決定に基づくのが原則と考えています。あくまでも一定のルール(法)の下でという限定条件が存在しますが、ルールとて絶対的なものではなく、その時点におけるルールは遵守しつつ、見直すべきところは常に見直していく必要があるでしょう。
その上で、それぞれの人がどう決定するのか、その決定に関係する因子としていろいろな外圧がかかった時に、本当に自己決定として後悔のないものたり得るのか、という点についても丁寧かつ継続的に考え、支援していく必要があるでしょう。専門家の意見や見解が参考になるなら良いのですが、その『専門家』の個人的な信条に強く影響され、最終的な結論が不本意なものにならないように、自己決定の支援を行う側は謙虚であるべきだと思います。
今、この国で妊娠・出産する人は、たまたま受診した施設の医師が、どういう考え方を持って診療に臨んでいるかの違いによって、受けられる検査やその説明、えられた診断結果に基づく対応などが、大きく違っている現実の中にいます。ある程度の違いが生じることは仕方がない部分があるとしても、その違いがあまりにも大きくなり過ぎたり、時に医療者の個人的な信条に大きく影響されたりすることは避けられるように、出生前の医療を扱う側にも適切なガイドラインが適用されることが望ましいと考えています。この国には、まだそれが整備されていません。