当院には、胎児にいろいろな問題が見つかって、出産を目指すか中絶するかなど、かなり悩まなければならない方やそのご家族が、日常的に来院されています。
そういう方々の悩みに対応していて常々感じることは、人工妊娠中絶はただでさえ悩ましいことなのに、それを選択する上でのハードルが無駄に高いということです。こんな書き方をすると、「妊娠中絶が安易に選択されてはけしからん!」とか、「簡単に妊娠中絶できた方が良いなどと言うとはとんでもない!」といったようなお叱りの声が聞こえてきそうですが、妊娠中絶を選択することを重荷にすることが、本当にそれを選択する人のためになることなのだろうかと、大いに疑問に感じます。
どう言う点が妊娠中絶する上でのハードルになっているのでしょうか。ここでは単に“望まない妊娠”ということでの中絶ではなく、胎児に問題が見つかった結果中絶を検討する場合に絞って考えていきたいと思います。
以下のような種類のハードルが高く立ちはだかっています。
1. 罪悪感というハードル
2. 期限というハードル
3. 受け入れ施設のハードル
4. 社会的ハードル
一つ一つ見ていきましょう。
1. 罪悪感というハードル
多くの人には、「妊娠中絶をすることはよくないこと。」という意識が、強く刷り込まれています。もちろん、個人個人の倫理観によって少しの違いはあるのですが、あまり表立って「中絶しました。」とは言いにくいという空気があるのではないでしょうか。これにはやはり教育が関係しているでしょう。
昔なら(今でも?)、例えば若い人や未婚の人が妊娠中絶をするというと、「はしたない」「ふしだらな娘」というような見られ方をしたでしょう。日本は、性教育のたいへん遅れた国で、学校教育でも家庭教育でも正しい性知識を得る機会が少ない反面、性的表現や扇情的情報の露出度が高く容易に入手可能な状況にあるため、正しい性知識を持たずに望まぬ妊娠をしてしまうことが大きな問題だと思いますが、そういった問題を単純に「中絶は悪いこと」として処理してきてしまっているのが現状ではないかと思います。
それとは別に、「いのち」の大切さを説く教育の内容や進め方にも目を向ける必要があるのかもしれません。命の大切さ、命の尊さを子供達に教えることは間違いなく大事なのですが、教える側が本当にどのぐらい命に向き合ってきた経験を持ち、どのぐらい深く理解しているのかによって、教える内容が大きく違ってくると思います。私たちが接してきた学校の先生がたの中にも、残念ながら「中絶=命を粗末にすること」という考えが強く刷り込まれてしまっていて、ある意味強い正義感を持ってそのことを子供達にきちんと教えなければならないと意識されている方がおられました。
幼少期の教育で刷り込まれた意識・考えは、なかなか変えられるものではありません。私たち日本人は、もっともっと外部のいろいろな文化に接し、違った考え方があるということを理解すべきだと常々思っています。
2. 期限というハードル
母体保護法では、第2条に「人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保持することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出すること。」と記載されています。この定義に従って中絶が行われるわけですが、ここで問題になるのが「母体外において生命を保持することのできない時期」です。法律の条文にはこの時期については明記されてはいません。この部分は専門家の判断に委ねられているのです。ここでの専門家というのは、「母体保護法指定医師」ということになります。その資格審査は、民間団体である都道府県医師会が行なっています。
しかしこの時期については、ただ単純に個々の医師が判断しているわけではありません。一応の基準として、「厚生事務次官通知」というものがあり、昭和28年当初には「妊娠8月未満(28週未満)」とされていました。これが新生児医療の進歩の結果、昭和51年には「通常妊娠24週未満」に、平成3年以降は「通常妊娠22週未満」となっています。私の記憶では、この平成3年当時、実際に妊娠22週で出生した児に対し厳重な管理を行った結果、生存例が出てきたことがこの時期の前倒しの引き金になったわけですが、当時は新生児医療の黎明期とでも言えるような時代で、小児科の中でも新生児部門というものが特別な一部門として独立するようになり、各地にNICUが整備され始め、この分野を担う医師たちはどのくらい未熟で小さい早産児を生存させることができるかということに対して血眼をあげて競争していた時代でした。しかし、生存したとはいってもまだまだいろいろな問題が多く、満期で生まれてきた子と同様に発達するとはとても言えなかったり、未熟さゆえの、またいろいろな治療を受けた結果の後遺症を残したりしたものでしたので、この時期について拙速に早めたことが本当に正しかったのか、色々と議論になりました。
この「厚生事務次官通知」ですが、よくみると「通常」22週未満という記載があり、全てのケースに渡って厳密な線引きで「22週」としているわけではないことに気がつきます。「通常」にあてはまらないケースがあってしかるべきことを想定していると思われますが、それだけでなく、「通常妊娠22週未満であること。」という文章の後に、「この時期の判断は、個々の事例について優生保護法(母体保護法に変更される前の法律の名称)第14条に基づいて指定された医師によって行われるものであること。」とも記されています。また、この時期の変更に伴って出された保健医療局精神保健課長通知には、
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と記されていて、母体保護法指定医師の判断に強い信頼がおかれていることがわかります。
ただ、実際にはこの時期について、ここの事例ごとに判断するということを実践している医師はほとんどいません。その理由はいくつかあると思われます。
まず、この条文や通知について確認してよく理解している医師がおそらく少ないといことがあります。中絶ができるのは22週未満という基準だけは産婦人科医なら誰でも知っているのですが、その基準が決められた経緯や、その細かい内容にまで考えを巡らせる人はすごく少ないのです。
もしある程度わかっている医師でも、22週以降でも中絶を行うということには勇気がいります。周りの同業者にはほとんどそういう人はいないし、自分独自の判断で物事を遂行するということが日本人は得意ではありません。
また、母体保護法指定医になるためには審査があり、講習を受ける必要があります。この講習は各都道府県医師会が主体となって行うわけですが、医師会側としても国の法律の内容についての裁量権を委ねられているという責任感がありますので、勝手な判断で独自のことをされることを嫌がります。批判のないよう足並みを揃える必要があるというわけです。責任を背負っている以上、無茶なことはするなという空気があります。妊娠中絶はひとつひとつのケースについて、きちんと法律に基づいて行われているか全て届け出るようになっています。22週を超えたケースが出たら医師会で大きな問題になることは容易に想像されますし、下手をすると指定医の取り消しにつながりかねません。そうなると収入にも響くという問題が生じますから、足並みの揃わないことを堂々とやろうという医師は基本的にはいないということになるでしょう。
そんなこんなで、人工妊娠中絶を考える人の前には、22週という大きなハードルが立ちはだかります。
日本の現状では、比較的早い週数の段階で胎児の問題が見つかる可能性は低い(諸外国に比べて胎児異常が見つかる時期は遅いし、診断率も低いという現状があります)ので、問題が見つかった時にはもうすでに22週を過ぎていることも多いのですが、この時にはもう出産前提の話をするしかないというわかりやすさがあります。しかし、問題なのは20週ごろに何らかの問題が見つかった場合で、それが重大なものなのか、なんとか治療可能なものなのか、判断が難しいにも関わらず、ごく短期間のうちに妊娠継続するのか中絶するのかの重大な選択を迫られます。この背景には、日本は諸外国に比べて超音波診断装置の普及率は非常に高いにも関わらず、胎児を観察するということに関しては思うように普及が進まなかったという問題があります。妊婦健診を行っている施設の中には、胎児を詳しく観察する検査について、わざわざ22週以降に行うことにしている施設もあるようです。その理由はよくわかりませんが、医師の側が難しい問題を避けたいと考えているといった(私から見れば責任逃れとしか思えない)姿勢なのか、また単純に中絶を避けたいという考え(これも個人の価値観の押し付けとしか思えないのですが)に基づいてそうしているのかもしれません。
何しろよく耳にする話は、22週が迫っている週数で胎児に何らかの所見があり、しかしその詳細はまだ不明なまま、中絶するかどうか決めなければならなくなる。中にはもう染色体検査は間に合わないと言われて、検査結果なしに判断を迫られることもあるようです。
中絶は良くないことという教育を受けて、命の大切さについては身にしみて感じている中、しかし元気に生まれてこれるのかどうかもわからない不安も強く、法的には中絶という選択も不可能ではない。しかしできることなら産んであげたい。治せる部分は治してあげたい。このような葛藤の中、ごく数日で結論を出さなければならないという状況に追い込まれている人が、実はすごく多いのです。
(後編に続く)