表題のニュースが配信されました。
これは、昨年8月にこのブログでも取り上げた法案が、可決されたものです。
ニュージーランド政府が中絶に関する画期的な法案を提出 – FMC東京 院長室
当初は、この法案の可否についての投票は執り行われないと予測されていたようですが、記事によると結局投票が行われ、賛成68票、反対51票だったということですので、それなりに議論になっていたようですね。女性がきちんと意見表明し、行動を可能にしている進歩的な国であっても、妊娠中絶に関しては、根強い反対意見があるのだということが認識されました。しかし、そんな中、堂々と議論して画期的な結論に導いた政府の姿勢は高く評価できるものと思います。
記事を読む限りでは、これまでこの問題についてあまり考えていなかった人にとっては、いまひとつわかりにくい内容になっているのではないかと思います。一体何がどう違うの?どこが画期的なの?という感覚を持つ方もおられるかもしれません。
この法改正が画期的なのは、妊娠中絶を行うことについて、医師による認定を受ける必要がなく、妊娠している当人の意思で決定できるという点です。
つまり、これまで中絶は、その妊娠の継続が妊婦の心身の健康状態にとって悪影響を及ぼすと医師が判定した時に限り可能であったもので、全ては医師の裁量に委ねられていたものが、これからは女性の権利として認められる、産む/産まないを自分自身で判断できるということなのです。
ただし、これは期限付きになっていて、妊娠20週までは可能だが、それ以降は従来通り2人の医師による認定が必要ということになっているようです。この20週という線引きが何を根拠に決められているのかについてはよくわかりませんが、妊娠中絶を女性が自分で決めるということに対する抵抗感を持つ反対派に配慮して、現実的な妥協点としてそうなったのだろうと思われます。女性の権利を勝ちとることを目標にしていた人たちにとっては、この部分はまだ不満の残るところかもしれません。
今回のこの動きは、我々にとってもかなり参考になるもののように感じます。妊娠中絶の扱いについては国ごとの違いがいろいろとあり、出生前診断を行う医師たちにとっては、純粋に医学的な判断とは別に、診断結果の扱いを難しくする要因になっています。これまでにも様々な議論が続けられてきました。そんな中で、NZのこれまでの状況は、中絶そのものは犯罪で、医師の認定のもとに行うことが可能になるという点で、考え方としては我が国における扱われ方(堕胎罪と母体保護法指定医による判断)とかなり近いものであったようです。(ただし、我が国のような22週という壁はなかった)
これから我が国において中絶の議論を行う上で、議論に参加する人たちは、この根本的な考え方の転換を理解することが必要です。これまでの議論は、『妊娠何週までをOKとするか(生育限界の問題)』と、『胎児条項を入れるか否か(命の選別問題)』の二つが、主なものとされてきたように思います。しかし、妊娠中絶の問題の本質は、今回の転換に至った問題(女性の権利問題)にあるのです。中絶してもいいかどうかを人に決められる・許可を受けるというのではなく、自らの価値観に沿って自己決定できるということが、最も大きなことなのだと思います。
しかしこの考え方、年長者にとっては受け入れがたいもののようにも感じられますねえ。いや、年長者全てというわけではなく(私もいまや年長者の一人ですし)、受け入れがたいと感じる割合が年長者の中には多そうだなということです。そういう意味では、政策・方針決定の場を担う人材の年齢構成や男女比率が、比較的高年齢の男性に偏っているような我が国では、このような変化を起こすことはかなり困難なことも想像されます。『長幼の序』の解釈を誤り、ただただ年功序列に落とし込んでしまっている社会の仕組みを変革することが必要でしょう。また、我が国ではある一定期間、比較的均一な社会が形成されていて、「こう考えるのが普通」「みんなこうしている」ということに追従することが当たり前のような感覚が蔓延している印象があります。これからの時代、様々な価値観の違いを許容し、それぞれの自己決定を尊重できる風土を醸成していかなければならないでしょう。