NIPTの指針改定問題。いろいろな意見が各種団体やマスコミ社説などで出てきていますね。
私自身も今回の日産婦が示した改定(案)には、いろいろと問題があると思っている一人なのですが、各種団体やマスコミが出している批判的な意見には必ずしも賛同できないんですよ。なぜなら以前からずっと同じような論調で、まあ理解はしますが、全体像が見えていないように感じるから。
批判的な意見の大方は、以下のようなものです。
・検査を安易に広げることは、多様な「生」を受け入れない社会につながり、障害者の生きる権利の侵害につながる。
・十分な遺伝カウンセリングが必要だ。
・安易な広がりには懸念を表明する。
新聞各社の社説も出揃いましたが、どれもほぼ同じですね。
社説というのは、その新聞社の論説として出るものですから、しっかりとした見識をお持ちの方が執筆を担当され推敲を重ねた結果発表されるのでしょうが、これほど同じ論調が揃うと、無難にまとめるとこうなるのかという感じです。急いで出した感が滲み出てきます。まあ仕方がないのかもしれません。論説委員の方々も普段このような話題に触れる機会は少ないと思いますし、ましてや海外の状況もそれほど伝わってきていないでしょうから、どうしても国内の専門家の意見に引っ張られてしまうのでしょう。
他の国では、出生前診断はだんだんとその感度や対象を増やしていく歴史的流れがあって、その中でその都度国としての方針が議論され、進んできた流れがあります。ところが日本ではそういう流れに乗っていなかったために、なんだか突然に検査ができるようになるような空気になって、慌てているような様子です。この問題については国内の専門家も少ないので、議論も深まらない印象を持っています。
私が感じる違和感について、どのくらいわかっていただけるかは未知数ですが、この機会に文章にしておきたいと思います。それでは見ていきましょう。
まず、検査の広がりについてです。
「朝日」社説(3月5日付)では、冒頭で、
やがて「検査を受けるのが当然」になり、さらには安易に命が選別される事態を招かないか、強い懸念が残る。
「毎日」社説(2月17日付)では、
施設要件が緩和されると開業医でも提供され、「誰もが受ける検査」と妊婦が思い込む心配がある。専門的カウンセリングを受けず、胎児に異常がなくても中絶するケースの増加も懸念される。ひいては、障害を持つ人を差別する風潮を助長する恐れがある。
全く同じことが書かれていますね。
海外在住者の視点で見てみたらどうなるでしょうか。海外ではすでに「誰もが受ける検査」になっています。そもそもNIPT以前にも同じ目的の検査は、基本的に誰もが受ける検査なのです。前回の妊娠の時には、海外在住だったので当たり前のように受けた検査が、日本では受けられないことがわかって愕然としたという妊婦さんを何人も見てきました。日本に住んでいるというだけで、海外では普通に行われている検査を受けることができないのです。
米国やシンガポールの妊婦診療のガイドラインには、すべての妊婦に分け隔てなく出生前検査についての情報提供を行い、希望に応じて検査を提供するように記されています。
そもそもNIPTが広く行われるようになっていなくても、そのほかの検査はすでに行われています。例えば超音波検査や妊娠中期の血清マーカー検査などは、日本中で幅広く行われ、これに基づいて的確とは言い難い説明がなされた結果、妊娠中絶を選択されているケースも多々発生しています。そしてこれらの検査は特に制限なく開業医でも実施されていて、そこには専門的カウンセリングなどというものは存在していないことの方が多いのです。
こういった現状には目を向けずにNIPTだけを規制することがいかにバランスを欠いたことであるかについて、言及してくれる記事は見たことがありません。
そういったあまり知識や経験のない医師が、曖昧な検査を行っている問題点がある一方で、NIPTの扱いに関しては学会側もそれなりに慎重に進めていて、十分かどうかは別としても研修を義務付けたり、必ず「基幹施設」と繋がるようにしたりといった、ただ闇雲に広げるようにはしない方策を練っているわけです。私自身は今回の指針には納得していない部分はあるものの、そういった専門家の努力に対してマスコミはほとんど評価せず、 これまでの印象に基づいて論を進めているように感じます。つまり、いつも出てくるような批判的意見に対しては、このように対応しているという反論ができる体制を考えて作ってきているわけで、そのあたりを評価した上でもっと問題点を掘り下げて考えていくべきだと思います。
「検査を受けることが当然」なのかどうかは、妊娠している本人が自分で決めることです。「誰もが受ける検査」だと思うか、思わないか、誰もが受ける検査だから自分も受けなければならないと思い込むか否かは、個々人によって違います。検査を強制されるわけではありませんので、個々の妊婦さんがそれぞれ自己決定すれば良いと思います。彼女たちには、自己決定する能力が欠けていると考えているのでしょうか。この国の大人たちは、妊婦さんたちを軽く見ているとしか思えないのです。
「毎日」社説(2月17日付)には、以下の文章もあります。
気になるのは、これまでの5年半で6万人以上が検査を受け、「陽性」が確定した人の9割以上が人工妊娠中絶を選んだことだ。
「中日」社説(3月8日付)でも、同じことが書かれています。
ただ、検査が始まってからこの間、染色体異常が判明した胎児の大半が中絶されている。障害者が排除されたり、命が選別される社会にはしたくない。
「陽性」が確定したという表現もあまり適切ではないと思うのですが、それは置いておいて、染色体異常が判明した場合9割以上が人工妊娠中絶を選択するという事実は、この検査のせいなのでしょうか。
今回たまたま、NIPTコンソーシアムが集めたデータを公表したことによって、胎児に染色体異常があることがわかった妊婦の多くが人工妊娠中絶を選択しているということが、数字でわかりやすくなっただけです。これまでにもそのほかの方法(例えばはじめから羊水検査を選択したり、超音波検査で異常を指摘されたり)での検査結果をもとに、胎児の異常がわかって妊娠を中絶する人は、同じような割合でいたはずです。この数字は、NIPTが行われることによってはじめて出てきた現象ではなくて、そもそもこの国の人たちの一般的考えに基づく傾向がそうなのだということを示しているにすぎません。このことが問題であるというのならば、障害を理由に妊娠中絶を泣く泣く選択しなくてもよくなるような社会を作るか、障害を理由にした人工妊娠中絶を全面的に禁止するしかありません。
人工妊娠中絶は、胎児の異常を理由として行うことはできないという原則論を主張する人もいますが、現実には、元々のメインの理由は胎児の異常だけれど、経済条項を使用して中絶を行う人は多いし、そういうケースについても母体保護法指定医が認めたものは、違法とは扱われていません。それどころか現実には、胎児にも母体にも何の異常もないけれど、望んでいない妊娠だという理由で、経済条項を使用して中絶されるケースの方がはるかに多いのです。妊娠中絶を選択する方々にはそれぞれに色々な理由があります。最終的に中絶を選択する結論に至るにはさまざまな問題が複合的に関係していて、いろいろと悩んだ結果、中絶という結論に至るのです。最終的に中絶を選択した人たちの全員が単に胎児の異常を忌み嫌って排除しようとしていたわけではないのです。胎児に異常がある場合の中絶だけが、「命の選別」と言われて特別に悪いことのように扱われている一方で、はるかに多くの妊娠中絶が行われています。このことについて、問題提起しているメディアも目にすることがありません。
そもそも、障害があろうとなかろうと、子供を育てていくことに手厚い国、手厚い社会であるならば、皆はもっと前向きに産むことを選択できるでしょう。しかし現実には、子育てにはさまざまな難しさ、障壁があるから、少子化が進んできたのだと思われます。この少子化の時代に、何の障害もない子供でも育児にはさまざまな障壁がある社会の中で、障害を持ったお子さんを育てていくことはすごく困難なことだという印象を持つ人が多くなるのは、自然なことではないかとさえ思われます。そうしたら、なるべくなら障害を持たずに生まれてきてほしいと願うことはごく当たり前のことではないでしょうか。そのような状況下で、しかし他の国ではできる検査を日本に住んでいるが為に受けることができないというのは、なんと不自由なことなのかと感じます。
障害者が排除されたり、命が選別される社会になっているのは何故なのか。そうではない社会に変えていくにはどうするべきなのか。出生前検査・診断を積極的に行うことがそういう社会になる大きな原因なのか。そもそもほかの国よりも出生前検査診断が遅れているこの国が、ほかの国よりも障害者排除の傾向が強いのなら、その原因は別のところにあるのではないでしょうか。
だいたい、いま論議されているNIPTは、学会の指針ではその対象を35歳以上の妊婦に限っているのです。では染色体異常のお子さんは35歳以上の妊婦さんからしか生まれてこないのかというと、そんなことはありません。晩婚化と不妊治療の発展によって、妊娠する女性の年齢はどんどんと上昇傾向にあるとはいえ、35歳以上の妊婦さんよりも35歳未満の妊婦さんの方が数は多いので、実際に生まれてくる染色体数的異常の赤ちゃんの半分ぐらいは、35歳未満の妊婦さんから生まれてきています。指針(案)に反対したり、懸念を表明したりしている人たちは、まるで指針(案)は検査によって染色体異常の子供たちが全く生まれてこないようにすることを目的としているように考えているような論じ方をしているようなのですが、そもそも全くそんなことにはならないような案なのです。
以前にも書きましたが、NIPTコンソーシアムの報告でも、彼らが35歳以上の妊婦のみを対象として行った結果、「陽性」判定となった率は約2%でした。染色体の数的異常は、年齢が高くなるほど起こりやすくなりますから、そのように可能性の高い対象に対して行っても、約98%という圧倒的多くの人が「陰性」結果を得ることのできる検査なのです。つまり、この検査の主眼は、心配のあまり(それほど高いわけではないものの)リスクを伴う羊水検査を受ける人を減少させることに寄与し、多くの人が安心を得ることができることにあるのです。染色体異常を見つけて排除しようというのが本来の目的なのではありません。数少ない「陽性」結果を得た人が、しっかりとした体制のもと遺伝カウンセリングを受け、自分たちの考えに基づいて自己決定ができ、どのような選択であっても手厚いサポートを受けることができるなら、もっと検査が普及しても良いと私は考えています。世界中で使われている「わかる手段」があるのに、「わからないままでいれば良いんだ」という考えを受け入れさせられることほど理不尽なことはないのではないでしょうか。
そんな中、「日経」社説(3月4日付)は、比較的無難にまとめられています。大上段に懸念を表明するのではなく、慎重な態度をキープしています。医療情報について、他社よりも多くのソースをお持ちなのかもしれないという印象を受けます。一点、気になるところは、
新出生前診断は自由診療で20万円ほどかかる。産婦人科医がカネもうけのために妊婦を診断に誘導することがあってはならない。
の部分です。
ここには偏見があります。そもそも現状は、産婦人科医が自制している中、産婦人科ではない(普段妊婦の診療をおこなったこともないような)医師たちが、カネもうけのために大々的に宣伝して検査を扱っているのです。
問題点は、こういった検査の料金が高くなってしまっていることです。カネを儲けるのは検査を実施する医師ではなく、検査会社です。検査会社の値段設定が安くなれば、検査自体も安価に提供できるのです。また、このような検査は全て自由診療になってしまう日本の保険診療の仕組みの問題点を考えるべきです。妊婦さんの経済力の差によって、受けることのできる検査に差が生じてしまう問題にも目を向けるべきでしょう。
最後に、私にとって気に入らない記載に触れておきます。
「朝日」社説(3月5日付)にある、以下の記載です。
規模の小さなクリニックなどで、妊婦や家族に十分な情報提供とカウンセリングがなされ、疑問や不安に応えることができるのか。検査結果が陽性だった場合、適切に対応できるのか。不安は尽きない。
規模が大きければ良い医療が提供できるのでしょうか。そりゃあ規模が大きければ医師数も多いし、診療科や部門も複数あり、その中に専門家が存在する可能性も高くなるでしょう。だから、認可を受けるための条件も揃えやすく、認可を受けやすいことでしょう。しかし、実際に産科外来を担当している医師は、そのような資格を持った医師ではない経験の浅い医師であることもよくあることなのです。実際、現在認可施設としてN IPTを実施している(将来的には「基幹施設」になる予定の)大学病院などできちんとした説明を受けられなかったり、誤った方針を提示されたりして当院に相談に来られる方も多々おられるのです。
そりゃあ当院のような特殊な施設はそうはありませんので、そんな特殊なところのことまで考慮していられないということなのかもしれませんが、規模が小さければ専門家はいなくて適切な対応もできないというのは、明らかな偏見です。医療の専門性というものは、規模によって規定されるものではありません。よく考えて、きちんと現場を取材した上で、論説していただきたいと思います。
NIPTだけでなく、出生前検査・診断をしっかりとした形で実施していくために必要なことは、施設の規模の大きさやその場で分娩が扱えるかどうかというものではありません。この国におけるこれからの産科医療・周産期医療および妊婦と胎児の診療の形について、より良い現実的なものとして体制を整えていくために必要なことも踏まえて、今回の指針(案)の対案も提示しています。以下の記事もお読みいただけると有難く存じます。