意見を言ったり、記事を書いたりしている人たちに、出生前診断の全貌が見えているか?

NIPT実施の新指針に関連した学会の会見以来、数本の記事を書き続けてきましたが、書きながらいろいろ考えるうちに、一つの疑問が湧いてきました。

それはこういうものです。

「出生前検査について論じている人たちの多くは、もしかしたらダウン症候群のことしか頭に浮かんでいないのではないか?」

 出生前にみつかる胎児の異常には、それこそ様々なものがあります。生まれてくる赤ちゃんの3〜4%は、何らかの疾患を抱えていますが、ダウン症候群も含めた染色体異常はそのうちの約1/3に過ぎず、残りの2/3はもっと別の問題です。その中には、例えばある種の心奇形のように、適切な管理や高度な技術を駆使した手術を行うことによって、しっかりと生きていくことができる疾患もあれば、原因不明かつ治療困難な重い障害を抱えたお子さんもいらっしゃいます。また、ごく限られた疾患ではあるものの、胎児期に治療を行うことでより良い出生後の管理につなげられるケースもあります。出生前診断とは、そういったものすべてを対象として、早期発見とより確実な診断に基づく情報提供を行うことで、その後の妊娠管理について、夫婦がよく考えて選択できる時間を提供することにつながるものです。
ところが、どうもいろいろな意見や議論が、すごく単純にダウン症候群のことしか頭になかったり、出生前検査で問題が見つかったら(これも単純に『陽性』と表現してしまう人が多いようです)、中絶につながるとしか頭にないことが多いように感じるのです。
たとえば『新型出生前診断』として話題になることが多いNIPTに関しても、その対象疾患は、ダウン症候群だけではなく、18トリソミーや13トリソミーも含まれるし、X染色体やY染色体の数の異常も検出されます。また、それ以外にも染色体微細欠失症候群が対象になる場合もあるし、将来的には単一遺伝子疾患なども対象として広がる可能性が考えられます。そしてこの検査は、これだけが出生前検査として単独で存在しているわけではなく、そのほかにも数ある出生前におこなわれる検査(たとえば超音波などを使用した画像診断や、絨毛採取や羊水穿刺によって採取した細胞を用いた染色体や遺伝子の検査)と関連して、選択肢の一つとして、どのような場合にどの技術を用いることが適切かという視点で選ばれる検査のはずなのです。
だから、この検査だけについておかしな規制をすることによって、たとえば私たちのように、様々な検査を扱っていてその選択肢を考慮するような施設の場合、この検査のみ扱うことができないでいることがどれほど不都合なことかは想像に難くないと思います。受診者さんにとって、最も適した検査がNIPTだと考えられる場合には、「この検査のみ当院では扱うことができません。」と説明しなければならないし、この検査を受けるためには、他の医療機関をわざわざ受診し直す必要が生じるのです。
そして同時に、NIPTしか扱っていないような医療機関(主に学会認定を受けていないクリニック)が、いかに不十分な医療を行なっているかも容易に理解可能かと思います。これは必ずしも未認定のクリニックのみの話だけではありません。たとえば現在すでに認定施設としてNIPTを行なっている施設であっても、羊水検査はできても絨毛検査ができないために、確定診断を得るためには何週も待たなければならなかったり、妊娠初期の胎児の観察の技術と知識が不足しているために、NIPT単独では得られない診断のための情報が不十分なまま、その後の選択肢の幅が狭められていたりしているのです。
そうやって考えると、現在のこの国における出生前検査のあり方がいかに歪なのか、私たちのような専門施設がNIPTを扱うことができないことがいかに妙なことなのか、そして、現在あるこの検査の普及の是非の議論がいかにズレているのかが見えてくると思います。今、このことについて決定権を持っていたり、いろいろな場で発言権を持っていたり、学会の中枢で大事な議論に関わったりするであろう立場の人たちは、私たちから見ると、出生前検査について専門的な知識を持って実際にその仕事に携わってきたり、それが世界ではどのように行われて、どのように対処されてきたのか、妊婦さんたちはどのような問題に直面しているのか、などについて本当に知っていたりする人たちとは思えないのです。なんといってもこの国は、20年もの間、この分野の臨床がストップしたままになっていた、世界の中でも非常に特異な国なのですから。
それだけに、厚労省が審議会を設置するという動きについては、国の問題として認識されることは悪くはないと思うものの、単にNIPTのみに絞った議論となるならなんだかガッカリだし、いったいどのようなメンバーが集まって議論されるのかを想像すると、どうもあまり期待できるようなものにはならないような気がするのです。