2017年2月10日〜11日にかけて、大阪で行われた、日本周産期・新生児医学会 第35回周産期学シンポジウム(光田信明会長)《周産期医療における「遺伝」を考える》に参加しました。私は、11日午後の部、「遺伝的出生前診断を考える」において、発表及びディスカッションを行いました。
このシンポジウムは、日本の周産期医療に関わる領域(産婦人科・小児科・小児外科)の医師および医療スタッフらが一堂に会し、年1回テーマを決めて議論するというもので、開始当初は「日本周産期学会」の名称でクローズドの会員制で始まり、その後「日本新生児学会」と統合されて、年1回のシンポジウムの形で残ったという経緯の企画です。35回目にしてはじめて、「遺伝」がテーマにとりあげられました。
10日はプレコングレス、11日がシンポジウムだったのですが、シンポジウムの前半(午前の部)は、「18トリソミーを考える」というテーマになっていました。遺伝を専門分野にしている研究者などからは、全体テーマ「遺伝」に対して、「18トリソミー」がその半分を占めていることに違和感を感じるという意見も聞かれましたが、広い意味で遺伝学的検査の対象になっている疾患ということで、これについての演題が多く集まったのでしょう。このことについては、今回は触れずまた別の機会に取り上げたいと思います。
さて、私は後半の遺伝学的検査(出生前診断)の関連の話題のところでの講演となりましたが、いろいろな議論が交わされた中、前日のプレコングレスの内容も含めて印象に残ったことについて、記したいと思います。
まず第一に、遺伝カウンセリングというものについて、まだまだ理解が進んでいない現状を感じました。このことについては次の記事で述べたいと思います。
次に、周産期医療に関わる医師の間でも、検査・診断に関する考え方は大きく違っているということを強く感じました。診療科や普段資料を行っている現場の違い、立場の違いもあるのかもしれません。ただ、実際にいろいろな悩みを抱えている方々と向き合っている現場をあまり知らずに、データに振り回されている人も多いのではないかと感じました。データの背景を読み取って、導き出された結果が持つ意味について深く考えてほしいと感じることがありました。
私たちは、検査の方法やそれによってわかること、わかった結果どのようになるのか、どのような選択ができるのか、など、多くの情報がより多くの人に分け隔てなくいきわたるべきだと考えています。そして、すべての人たちがアクセスの機会を得ることができるべきだと考えています。そのうえで選択可能であることが理想です。しかし、情報がいきわたること、アクセスが保証されることについて、反対の立場の人、危惧している人が思った以上に多いことに驚かされました。出生前検査について、何か良くないこと、あまりオープンにすべきでないことであるという認識が、周産期医療に関わる人たちの中にも蔓延しているのだなと感じました。検査の存在やその意義、方法、適当な時期などといった情報や検査そのものの提供体制を、アクセスしやすい形でオープンにすることと、検査をマススクリーニングにすることとはまったく意味合いが違うはずなのに、これを混同して批判するような態度を取られてしまうと、議論になりません。冷静に考えて判断したいただきたいと思います。
また、出生前検査の普及と人工妊娠中絶との関連について、ダイレクトに語る方も多いのですが、ここは分けて考えるべきだと思います。もちろん関連が密接であることは事実です。しかし、その間には、さまざまな背景が絡み、その時代や社会、あるいは自然科学および社会科学の成果によっても、その関連の仕方は変化します。短絡的に結び付けて論じることは、感情的にすぎないことが多いように感じます。
私たち医療従事者は、これまで専門分野の新しい情報については、まず専門家が知り、それを専門家の裁量で、一般の人たちに伝えていくものだと思っていたのではないでしょうか。難しいことを言っても混乱するだけだから、噛み砕いて医療者の意向を伝えれば事足りると考えていたのではないでしょうか。しかし、お腹の中の胎児に病気や障害がないかといった心配に対応する情報が伝わるか否かが、医師の個人的信条で左右されてしまうことは、問題ではないでしょうか。検査を受けるべきか、受けないでいるべきか、伝えられた情報をもとに判断する機会を奪ってはいないでしょうか。
世の中には、いろいろな考え、いろいろな信条や宗教観を持った方がおられます。医師は、根本的に相容れない考え方を持つ人に対峙しなければならないこともあります。しかし私は、そういった多様な考えに対して、結論がよほど普遍的な倫理観に反しているのでなければ、たとえ自らの信条とは相容れないものであっても、最終的には自己決定に委ねるのが筋だと考えています。