英国発の新しい記事が出ました。
medicalxpress.com鎌状赤血球症の胎児診断を非侵襲的に可能にする技術が、実用化に近づいている。
という話題です。
NIPT (noninvasive prenatal testing) ではなく、NIPD (noninvasive prenatal diagnosis) なのです。
鎌状赤血球症という病気は、遺伝性の貧血症の一つで、ヘモグロビンの異常によって貧血をはじめとする様々な症状が起こります。この特別な赤血球の性質のせいでマラリアに感染しても発症しにくいという特性を持つため、マラリアの流行地域では生存に有利に働く面があり、アフリカなどで多い疾患となっています。一般には、様々な症状で辛い思いをしたり、急に症状が悪化したりして、死に至ることもある病気ではあるものの、慎重な管理や治療によって、生きていくことは可能です。原因は11番染色体上にある遺伝子の変異により、2本ある11番染色体の両方にこの変異がある(ホモ接合と言います)と、症状が強く出ます。片方(ヘテロ接合)の場合は、あまり症状なく経過します。症状などについては以下のページにわかりやすくまとめられていますので、参考にしてください。
鎌状赤血球症 – 13. 血液の病気 – MSDマニュアル家庭版
このMSDマニュアルは、米国の医師が執筆したものを日本語訳したものです。したがって、読み進めていくと以下の記載があります。
妊娠の初期に胎児を調べる最新の検査を行うことができ、子どもが鎌状赤血球症になるリスクがある夫婦に対する出生前カウンセリング( キャリアスクリーニング)が可能になります。羊水穿刺や絨毛採取によって得られた胎児細胞で、鎌状赤血球症の原因遺伝子の有無を検査します。
しかし、わが国においてこの記載は現実的ではありません。なぜなら、ここに出てくる『キャリアスクリーニング』は、日本では一般的ではありませんし、胎児細胞を用いて原因遺伝子の有無を検査することも通常は行われていません。技術的には可能なので、当院では十分な遺伝カウンセリングを経たのちに行うことが可能と考えていますが、検査にかかる費用は(日本では)比較的高額にならざるを得ないでしょう。
最初に紹介した記事も、この胎児細胞による診断が前提にあり、NIPDの技術によって、羊水穿刺や絨毛採取といった侵襲的な検査を受けなくても良くなるということが話題となっています。
こういった話題が出るたびにいつも考えることは、実際に日本国内でこのような疾患に関連した検査がどの程度可能なのかということです。
ある病気に関連した遺伝子の変異を1番から22番までの染色体(常染色体)上にヘテロ接合で持つ場合でも発症する疾患は、常染色体優性遺伝(最近、この用語を顕性遺伝という言い方に変えようという動きがありますが、ここではこれまでの慣習に基づいてこの記載で進めます)という形式で代々伝わります。この場合にはヘテロ接合でも症状が明確に出ます。しかし、ホモ接合の場合にはじめて症状が明らかになる疾患の場合は、ヘテロ接合の人では症状は明らかにならないことが多く、本人も知らないまま過ごしています。この状態の人がたまたまカップルになって、その次の世代で両親からそれぞれ変異のある遺伝子を引き継いでホモ接合になった場合(1/4の可能性でそうなり得ます)に、病気が発症するわけです。このようなものを常染色体劣性遺伝(同様に、潜性遺伝と言いかえる話が出ています)病というのですが、この劣性遺伝病に関係する遺伝子変異をヘテロ接合で持っている人のことを、保因者と言います。
この保因者を英語でキャリア(carrier)というので、キャリアスクリーニングというのは、保因者を見つける検査という話です。
もし自分が重大な病気の保因者であることを知らずに過ごしていて、自分が選んだパートナーがたまたま同じ病気の保因者であった時、1/4の確率で自分たちの子供に重大な病気が発症することになるので、あらかじめ自分が持つ遺伝子の変異を知っておくことで、自分が選んだパートナーが同じものを持っていないかどうかと照らし合わせて、将来に役立てようという考えです。自分が持つ遺伝子変異の情報と、相手の人が持つ情報とを、パートナー選びの段階で用いようという人もいるかもしれないし、出生前の検査・診断につなげようという人もいるかもしれません。
(本日は、X,Y染色体に関係する病気の話は、混乱を避けるため、割愛します)
キャリアスクリーニングの話は、いろいろと複雑で奥深い問題がある(劣性遺伝性の疾患の重篤性にも様々な違いがあるし、その人の人種や所属する地域やコミュニティなどによっても可能性の高さが違い、何をどこまで調べるべきかなどの判断が単純ではない)ので、ここではあまり深くは触れませんが、同じような常染色体劣性遺伝の疾患の検査というと、すでにそのような疾患のお子さんを出産した経験のあるカップルにおいては、大事な話になってきます。例えば筋肉の障害で筋力低下が起こる先天性ミオパチーや、日本においては非常に少ないのですが、脊髄小脳変性症の一部のものはこの形の遺伝形式の疾患です。軟骨無発生症1A型、1B型もそうです。軟骨無発生症では、赤ちゃんは生存できませんので、出生前診断の対象となります。
最初にとりあげた鎌状赤血球症は、日本ではほとんど見られない病気です。従って、この病気についてNIPDで調べるという話題は、日本人にとっては馴染みのない話ということになるかもしれません。しかし、頻度が少ないためにあまり注目されませんが、常染色体性劣性遺伝病で辛い生活を強いられている方やご家族は、それなりにおられます。このような方々にとって、次の世代にその病気を引き継ぐかどうかという問題は、それなりに深刻なものとなります。
いわゆる希少難病という範疇に入る疾患には、様々なものがあります。いまだに診断についていない方も大勢おられます。その中で、遺伝子の変異が明らかになり、遺伝形式が判明し、家族がその保因者かどうかがわかるというものも増えつつあります。問題は、そのことが判明した時に、その遺伝子を次の世代が引き継いでいるのかどうかを調べるべきかどうかという判断です。
これは、出生前検査・診断についても言えることだし、着床前検査・診断にも関係するものです。どのような疾患がその対象になるのか、どのような場合にこの技術を用いるべきなのか。なぜなら、このような問題について語られる際に常に出てくるのが、『命の選別』という言葉です。
疾患、特に神経筋疾患のような、徐々に体の機能が失われていくような病気は、本人も家族も辛い病気です。中には、性格まで変わってしまうような難しい病気もあり、支える家族の苦労は言葉では言い表せないぐらいの場合もあります。今回取り上げた常染色体劣性遺伝疾患ではありませんが、優性遺伝疾患の中にも、成人してから発症する重大な病気があり、その遺伝子を子どもが引き継いでいるかどうか調べるべきかどうかという問題に直面することもあります。
このような病気の原因となる遺伝子変異が、病気を発症した人において発見された場合に、その子孫でこれを検査すべきかどうか、これを持つ人がその遺伝子変異を次世代に引き継がないために、出生前検査や着床前検査といった技術を利用すべきかどうかという問題は、いわば断種という言葉に当てはまるわけで、当事者は様々な思いを持つことになります。常染色体劣性遺伝病で若くしてお子さんを亡くされたご両親が、次の妊娠では同じ病気を持たない子どもを得たいという願いは、比較的受け入れられやすいのですが、最初に出てきた鎌状赤血球症のように、それなりに症状は辛いし若くして死に至るケースもあるものの、治療や管理がある程度可能で、社会生活を営むことが可能な場合にはどうでしょうか。常染色体優性遺伝疾患で明確に症状がある方の場合で、その疾患を持つ本人が妊娠する場合などはより問題が難しくなります。ある人は、自分の苦労を子どもには背負わせたくないと考えて、出生前診断や着床前診断を受けたいと希望しますが、別の人は、自分は病気があっても幸せに暮らしているのだから、この病気だということを診断して中絶することは自分を否定されるようで許せないと考えます。
私は、このような複雑な問題に関しては、当事者の意向を最大限に尊重することが必要だと考えます。考え方や生き方の選択には個人間でさまざまな違いがあります。信じているものに違いがあると、自分とは違った考え方、倫理観に基づく選択を理解することは難しいかもしれません。しかし、私たちには、違った考えがあってしかるべきであるという前提に基づいて受け入れる態度が必要です。これはどのような立場の人から見ても明らかに逸脱して倫理にもとるという場合(その判断も簡単ではないかもしれませんが)を除いて。そういったさまざまな考え・信条に基づいて、それぞれの方がそれぞれの選択をできるようにするために、遺伝カウンセリングという場が存在するはずです。だから、たとえば同じ病気の人が3人いたとして、その3人の選択が三人三様であっても(例:一人は出生前検査を受けない、一人は出生前診断して胎児が罹患児なら中絶する、もう一人は出生前診断して胎児が罹患児とわかっても出産を選択する)、いずれの場合でも否定することなく受け入れ、同様にサポートすることが必要です。
ところが、実際の現場ではそのようにならないことが多々あります。特に着床前診断や出生前診断を受けることができるかどうかというところにハードルがあります。
どのような場合に出生前診断や着床前診断の対象になるかという適応を決める際に、学会の決めた基準・指針に従う必要(時には、学会の倫理委員会の審査が必要)が生じます。さまざまな遺伝性疾患に関連して、このような検査を希望する人が医師に相談した場合に、どう対応するかはその場の医師が判断するわけですが、そこにある一定の指針が示されていないと判断が難しいことはよく理解できます。しかし、数名の専門家(?)が集まった場で、どういった場合を重篤な疾患と考えるのかという疑問点に対して、おそらくある程度の目安として、「やはり成人する前に死に至るようなものは重篤と言えるでしょうね。」といったような一定の基準的なものが示されたことについて、まるでそれが金科玉条のごとく扱って、成人に達するような疾患であるならば、それがどんなに生活に支障をきたすものであっても、一律に認めないというような対応は、いかがなものかと思います。本来であれば、専門的な研修と学習を経て認定試験を突破して資格を得た、個々の臨床遺伝専門医や認定遺伝カウンセラーに信頼を置いて、個々のケースごとの判断を委ねるべきではないかと思います。これらの専門資格を持たない医師がこういったケースに直面した際には、地域の専門家に繋げられる体制を作れば良いのです。もし、これらの専門資格を持ったものが自身で判断できないようであれば、その資格認定自体に問題がある可能性を考えなければならないでしょう。本来はルールとして決めているものではない、やや柔軟性を含んだ指針であっても、なんとなくルールのように捉えてしまい、そのルールに縛られがちになるのが、日本の人たちの特徴のように感じます。
着床前診断を行うことが可能か否かについて、現在は日本産科婦人科学会の『着床前診断に関する審査小委員会』が、申請のあったケースについて一例一例審査して実施を認めています。しかし、この審査の基準こそがまさに柔軟性を欠いており、非常に重篤な疾患で苦労してきた、そして実際に今現在も苦労を強いられている本人が望んでも、容易には認められない状況が続いていました。また、審査自体にも時間がかかる上に認められないとなると、ある程度の年齢に達してから子どもを望むカップルにとっては、深刻な問題となっています。私たちはこのことに疑問を感じており、学会発表や学会への働きかけに協力してきました。今年春に出た報道がありますので、参考にしていただければと思います。