公益財団法人日本ダウン症協会(JDS)が、以下のような文書を出しています。
3月1日付です。
NIPT指針改定をめぐる動きについて
http://jdss.or.jp/project/20190301jds.pdf
大変わかりやすい解説です。
さすがにこの問題に当事者の立場で長年向き合ってこられた人たちの、葛藤や論議をもとに練られてきた意見開示と提言であると感じられ、感銘を受けました。
これに対して、日本産科婦人科学会の出生前検査に関する指針を読むと、障害を持つ方々やその家族への配慮を示す文言が並んでいるものの、何か表層的な印象を持ちます。理事会のメンバーの先生方の多くは、ご自身の専門分野の研究で地位を築いてこられた先生方であって、出生前検査の現場で問題と向き合ってこられたとは必ずしも言えない方々なのではないかという気さえしてきます。
JDSの立場、考え方の基本は、大変わかりやすくかつ印象的です。
①検査技術の進化や検査の実施について否定するものではなく、その検査を受ける/受けないに関する妊婦(あるいはカップル)の個別的な判断に対して是非の表明は行いません。
②特定の疾患や身体的特徴のある方やその家族への否定的圧力を招く事象に対して、常に懸念を抱いています。そのことは検査の運用に対しても同じです。仮に、ダウン症のある方やそのご家族が生きづらさを感じるとしたら、それはダウン症という「障害」によるのではなく、その方とご家族をとりまく「社会的障壁」によるものだと思います。検査の運用がそのような「社会的障壁」を強化するものとならないことを望みます。
JDSの中にも、いろいろな立場、いろいろな違った意見があることと思います。出生前検査についても、とても容認できないと強硬な態度をとる方もおられれば、我が子はかわいくて愛しいけれども、次の妊娠の時にはこの検査を受けるだろうと考える方もおられるでしょう。そういった結論に至る中にも、いろいろな葛藤があることでしょう。
そういった個々の違いや立場というものを容認する度量を、障害児を育ててきた中で、JDSの人たちは身につけてこられたのかもしれません。社会的障壁が根強く残って、なかなか変わっていかない中で、それでもなんとか変化させようという地道な努力に対し、検査がどんどん広まることに対して危惧を感じられることは、十分に理解できます。
それでもなお、彼らは、検査の実施について否定するわけでもなく、妊婦やカップルの個別的な判断に対して是非は表明しないという立場を明確にしているのです。個々人の判断は尊重しようという姿勢です。妊婦の診療の現場で、あるいは『遺伝カウンセリング』と称する検査前説明の場で、まるで検査を受けようとすること自体に問題があるような態度をとる医師がいたり、「本当に検査を受けるのか?」というような圧力をかけられたりすることがあるのは、一体どういうことなのでしょうか。医師たちの間には、何か自分たちが正しい考え方を教育していく立場であるような思い込みがあるのではないかと感じています。
変わらなければならないのは、「社会」なのです。最近でも中央省庁における障害者雇用の水増し問題や、外国人技能実習生の問題など、マイノリティや女性など立場の弱い人間が生きにくい状況がなかなか改善されないことが、浮き彫りになってきています。そのような社会状況において、障害のあるこどもを出生前の早期に発見する方法が広がることには、当事者の側からの反発があることは十分に理解できることです。しかし、だからといって検査を強く規制すれば良いというものでもないというのが、私たちの考えです。社会状況が変わっていかないことのしわ寄せを、妊婦に背負わせるのはそれもまた違うと思うからです。検査は検査として、きちんと行いつつ、社会状況もしっかりと変化させられるようにしていくことは、不可能なことなのでしょうか。
小さい頃から、みんなと同じであること、足並みをそろえていることが大事で、少しでも外れるような人は許容されづらい空気が、この国には蔓延しているように感じられます。教育現場でもそのような環境が根強くあります。もっと個々の違いを認めて、いろいろな異質なものをまとめて許容してやっていけるような、おおらかな社会にできるよう、まずは教育現場から変革していかないといけないのではないかと感じています。
出生前検査を扱う立場の医師や医療従事者、その仕組み・制度に関わる学会の上層部を占めるお偉いさんや、この国の社会のあり方に関わる行政・立法に携わる人たちは、今一度JDSの主張に耳を傾ける必要があると思いました。