以前から何度も問題にしていることですが、当院ではNIPTを扱うことができません。学会の指針に基づいた、実施施設としての認定が得られないからです。
産婦人科専門医かつ臨床遺伝専門医:2名
小児科医かつ臨床遺伝専門医:1名
認定遺伝カウンセラー:2名
日本人類遺伝学会評議員:2名
日本産科婦人科遺伝診療学会代議員:2名
この陣容を要し、出生前検査の専門外来を毎日行なっている当施設が、なぜNIPTを実施する施設としての認可を得られないのか。
それは、日本産科婦人科学会が決めた指針の中に、分娩や中絶を取り扱っている施設であることという決まりがあるからです。しかし、なぜ分娩や中絶を取り扱っている施設でなければならないのか、その理由についての説明は、指針の中に記されていません。理由の説明がないままに、唐突にこの決まりが記載されているのです。この問題については、昨年学会宛に公開質問状を送付しましたが、回答はありません。
一方で、指針の文章の中では繰り返し「遺伝カウンセリング」の重要性が強調され、発表や報道などでも「遺伝カウンセリング」に言及されることが多くなりました。
当院には、認定施設でNIPTを受けた人も、超音波検査を希望して来院されることがけっこう多いです。また、年齢の高い妊婦さんが出生前検査の相談をしてこられたときには、年齢と関係した染色体トリソミーの検査としては、NIPTが優れているので、断腸の思いで他院でNIPTをお受けになることをお勧めしています。その後に、結果を持って相談にこられたり、妊娠中期の超音波検査については当院での検査を選択していただける方もおられます。
そんな中で、認定施設で受けた遺伝カウンセリングについてのお話を伺うことがあります。先日は、認定施設で遺伝カウンセリングを受けた結果、NIPTを取りやめて当院の初期検査(FMFコンバインド・プラス)を選択された方がおられました。なぜそのような選択になったのか、認定施設で受けた遺伝カウンセリングの状況も関係しているようでしたのでお話を伺いましたが、ちょっと考えさせられるような内容だったのです。
権威ある先生のありがたいお話?
某大学病院でのお話です。著名な臨床遺伝専門医の先生が中心となって、出生前診断を受けたい方の遺伝カウンセリングを、若手の臨床遺伝専門医や遺伝カウンセラーとチームを組んで実践しておられるようですので、一般には学会が認めるきちんとした遺伝カウンセリングを行っている施設という評価を受けているところです。
NIPTに関して、その対象となる疾患(3つのトリソミー)についての詳しい解説、特に生まれた後の管理や生活についてのお話、NIPT検査でわかることや検査の精度や限界など、そういったお話は、さすがに専門家なので、きちんとした情報提供が行われているのです。ただ、気になる点は、「この検査では、3つのトリソミーしかわかりません。生まれつきの病気には様々なものがあるけれど、この検査を受ければその全てがわかるというわけではないのです。それでもこの検査を受けますか?」「もし胎児にトリソミーがあることがわかったら、どうされますか?よく考えてから検査をお受けになってください。」というところを、すごく強調されているらしいところなんです。なんだかこの検査を受けるには、たいへんな覚悟が必要なんですよと諭されているような、それだけでなく、子どもを育てるということは何があるかわからないことを受け入れることなんだということをこの時点で背負わされるのです。これ、考えてみたら、少し前に挙げた以下の記事で言及した、『親になる責任』の理解ということと同じですね。権威あるお医者さんたちは皆そう考えておられるのでしょうか。
「もし、胎児に問題が見つかったらどうするのか、よく考えてから検査を受けるように」という話は、実はよく言われている話です。それだけでなく、結論を決めてから受けるように言われていることもあります。だから、日本ではそういう考え方が主流なのかもしれません。しかし、実はわたしはそこまで思ってないんです。個人的な意見なんですが、ちょっとそれは難しいんじゃないかと思うのです。もちろん、事前にしっかりと情報を得て、考えておくことは大事だと思います。それがしっかりとできることが理想的だとは思いますので、そんなの必要ないというふうに否定はしません。でも、みんながそうできるわけでもないだろうなと思うのです。
理想と現実、社会と個々人
世の中には、実際に自分が当事者になってみないとわからないことはいっぱいあります。ある程度事前に情報を得ていたとしても、そこまで真剣になれなかったり、楽観的に構えていたりすることが多いのではないでしょうか。けっこう確率の高いことなら、ちょっと真面目に考えて準備しておかないと不安という方もおられるでしょう、でも、例えば最も頻度の高いダウン症候群でも、40歳の妊婦さんで約100人に1人、35歳の妊婦さんなら約300人に1人なんです。99%以上陰性という結果が得られるであろう検査を受けるにあたって、どこまで真剣に陽性が出た場合のことについて考えておけるでしょうか。理想的なことを追い求めすぎてはいないでしょうか。
当事者意識が希薄だと、たとえあらかじめ考えていたとしても、やっぱり実際に当事者になってみた際には、考えは揺れると思うし、そう簡単に結論は出せないでしょう。毎日様々なケースと向き合っている医療従事者と、普段そんな難しい問題がいろいろあるなどということは想像もつかないまま生活している若いカップルとの間にあるギャップはとても大きいのです。1時間やそこらの話で、自分たちが考えているような認識を持ってもらうことは至難の技でしょう。その上、世の中の人の価値観は人それぞれ、様々です。それまで育ってきた中で培われてきた価値観が、短時間の話で急激に転換することはまずありません。私は、遺伝カウンセリングに際して、「親になることとはどういうことなのか理解する」ことを目指すのは、目標が高すぎると思うし、人々の多様性に対して寛容ではないと感じます。
世の中を良くしていくためには、高い理想を掲げて、目標に向かって邁進することが必要であることはもちろんで、社会の変革のためにはそういう意識が必要だと思います。しかし、その意識を個々人の行動原理に満遍なく落とし込むことは現実的ではありません。全体を動かす際の意識と、個々の行動に適用する際の実際的な対応とは、違ったものになるのが当たり前だと思います。このあたりが、理想主義者のように思える多くの臨床遺伝専門医の方々には、飲み込めていないのではないだろうかと思うのです。
遺伝カウンセリングには、理想的な答があるわけではないというのが私の認識です。人々にはそれぞれ違った考え・価値観・行動原理があります。遺伝カウンセリングを行う者が、何かあらかじめ存在する正解に導くというような姿勢で臨んでいるとしたら、それは本来の遺伝カウンセリングではありません。私たちにはあくまでも、自律的な判断・選択を支援し、尊重することが求められるはずです。来談者の選択が、たとえ自分の価値観や判断とは違った結論であったとしても。何か権威のある先生と若いカップルとの間に、そういったフラットな関係ではない圧力がかかるとしたら、それは適切な遺伝カウンセリングとは言えないと私は感じます。
一体どうしたいのか
「この検査では3つのトリソミーしかわかりません。」という話を強くされた、という点が、私には良くわかりませんでした。ここを強調する意味はなんなのか?
世の中にはいろんな問題があるのに、ここだけ調べてどうするのか?まだまだわからないことは残されているのですよ。とでも言いたいのでしょうか。でも、年齢の高い妊婦さんなら、トリソミーが増加することは明らかなわけですし、通常の妊婦健診の現場では発見されにくいものであり、それでいてある一定の割合を占めているわけなので、とくに年齢の高いことを心配されている妊婦さんにとって、検査対象が3つのトリソミーに絞られている検査でも十分にその検査を受ける意義は高いと考えられます。妊娠出産に向けて、少しでも不安を軽減させ、妊娠中の期間を落ち着いて過ごすことにつながる検査として、今わかることだけであってもある程度可能性の高い問題が否定されることは、現実的な選択ではないでしょうか。
妊婦さんが考える安心は、もしかしたら思い込みに基づいたかりそめの安心なのかもしれません。本人が思っているほど十分に安心できる結果が得られているわけではないのかもしれません。しかし、予想もつかないリスクが隠れている中で生活している私たちにとって、安心とは結局そのようなものなのではないでしょうか。それでも、なんの情報も得ていないよりは、少しでも気になることが払拭されるだけでも良いのではないかと思います。専門家から見たら知識が少ないと思われる人たちに、そんな安心では不十分ですよと教えたいのかもしれませんが、ここでもまた理想を追いすぎです。
この「3つのトリソミー“しか”わからない」検査という言い方は、何か、赤ちゃんの生まれつきの問題というものに関して、もっと知識を持ってほしいと頑張るあまり、結局は不安を煽るだけになってしまい、その検査を受けることの必要性や意義、検査の精度などの問題がまだ明確とは言えない、学会に認定されない施設が闇雲に手を出している「全染色体の異数性」や「微細欠失症候群」「遺伝子変異」を対象とした検査に走らせてしまう結果になりはしないでしょうか。この説明の話を聞いた時、私は、「そういう話をしたら、そりゃあ認定外施設に行くよな。」と思ってしまいました。
「3つのトリソミー」について、高感度・高特異度の検査ができるというだけで良いことではないかと、私などは今でも思いますけどねえ。もちろん、これだけで十分だとも思っていませんし、検査の意義についての説明をしっかり受けた後に選択するなら、細かい検査を受けてもまあ人それぞれで悪くはないとも思いますが。
この大学病院とはまた別の、これもまた著名な臨床遺伝専門医がおられる学会認定施設の中にも、私からみて矛盾に満ちているという検査選択をしている施設があります。例えば、NIPTは扱っているけれど本心はあまり積極的ではなく、精密な超音波検査も妊娠22週をすぎてからでないと行わないというような謎の方針です。これは、以前に取り上げた医師の価値観が反映されている好例です。
胎児超音波検査を行う時期に、医師個人の価値観が反映されている。 – FMC東京 院長室
出生前検査を積極的にやりたくないのなら、なぜNIPTをやっているのですか?一体どういう姿勢で遺伝カウンセリングに臨んでいるのですか?
私たちは、こんなにNIPTをやりたくて仕方がないのに、我慢に我慢を重ねて格闘しているのに、コロナ禍で収入が減る中、それでも高齢の妊婦さんはNIPTを受けた方がいいですよ、うちではできませんが、と涙を飲んで案内しているのに。
『遺伝カウンセリング』専門家だと自他共に認めているような人たちでさえ、けっこうずれているのが、この国の現状なのです。