続きです。
・検査の広がりは妊婦の不安を煽り、安易な中絶につながりかねない。また、検査が一般化すると、妊婦は検査を受けるように重圧を受けるし、異常のある子を産み育てることに対して批判的な風潮や自己責任論が広がる懸念がある。
こういう論調は、全く妊婦の置かれている現状がわかっていない人の意見です。
基本的に妊婦さんたちの多くは、それでなくても不安なんです。いろいろなことを心配しているんですよ。当院に来院される方々に受診理由を聞いていますが、かなりの方が、「胎児に問題がないか心配なのでみてほしい。」とおっしゃっています。これ以外で多いのは、「胎児に異常がある(多くは“むくみ”)と指摘されたので、心配。」です。
現在、安心につながる的確な検査が受けられないから不安なんです。多くの場所で、きちんとした形で検査が提供されることが大事なんです。検査の広がりが不安を煽るというのは想像に過ぎません。そしてそれが安易な中絶につながり“かねない”などと、いったいどこまで想像を広げるのでしょうか。現在、より曖昧な検査結果をもとに不十分な説明を受けて、中絶につながってしまっているケースが多いことをご存知ないのでしょうか。精度の高い検査によって、必要のない侵襲的検査や漠然とした不安に基づく人工妊娠中絶は減るということをご存じないのでしょうか。検査に対するネガティブな印象をもとに勝手に想像を広げて論を展開するのは慎んでいただきたいものです。
後半部分も同じです。検査を義務付けようとしているわけではないのに、重圧を受けるだとか、異常のある子を産み育てることに批判的な意見が広がるだとか、悪い想像ばかり膨らませても仕方がないではないかと感じます。このような想像をもとに、たくさんの妊婦さんの選択の自由を奪うことが平気で行われる方がどうかしています。検査を受ける受けないはあくまでも本人が決めることです。そして、もし懸念しておられるような「重圧」や「批判的風潮」や「自己責任論の広がり」が起こる気配があるなら、それが蔓延しないように対策を練れば良いのではないかと思います。検査を規制することよりもむしろ、別のところにその対策はあるのではないでしょうか。
・結果的に、多様な人が生きる社会の否定につながりかねない。
「つながる」とは言ってないんですよ、「つながり“かねない”」と言うんです。“かねない”が好きですね。あくまでも想像だと言うことが自分たちでもわかっているのでしょうか。
多様な人が生きる社会を否定する方向に向かう懸念が持たれることについては、理解します。しかし、NIPTを規制すればそれを抑えることができるのでしょうか。ここが大いに疑問です。NIPTを規制しても、他の方法で知りたい人は知ろうとするし、規制されているがゆえに余計にそう言う感情につながる懸念さえあります。検査を規制すれば良いと言う考えはあまりにも安易で、むしろ多様な人が生きる社会を実現させつつ検査を有効利用する方策を考えるべきです。変に検査を規制することが、むしろわかるべきこともわからないままにしてしまう可能性があります。検査しないままにしていることが、治療・管理戦略を考える上でマイナスに働くことが実際にあります。
そもそも現時点で多様な人が生きる社会になるような努力があまり目に見えて行われてきていません。その努力をもっとやるべきです。そこがちゃんとしていれば、検査の実施についていびつな議論になることもないと思います。
妊婦さんの側にも多様性はあります。検査を受けたいと思う人、受けたくないと思う人、何か問題があっても育てていけると思う人、自分には育てていける自信がないと思う人、信仰や信条によっても違いはあります。そういった多様性にも目を向けてもらいたいものだと思います。
いろいろな記事を読んだり、メディアでの取り上げられ方を見たりして、気づいたことがあります。それは、
NIPTの普及に対して否定的な論調の多くは、まるでこれまでこの国には出生前検査というものが存在していなかったかのような考えに基づいている。ということです。
胎児の持つ問題について知る方法はこれまで何もなかったところに、突然降って湧いたようにNIPTという方法が出現したかのような扱いをしているように感じます。
しかし実際には、妊婦さんたちは妊婦健診のたびに超音波検査を受けて、場合によってはそこでの見え方をもとに胎児の問題について指摘を受けることがあります。胎児の検査は日常的に行われているのです。NIPTはいろいろな検査の選択肢の一つに過ぎません。妊婦診療の現状をよく知った上で、意見してもらいたいものだと思います。
過去に書いた関連記事を貼っておきます。