先日、NIPTに関するニュースについて言及したところ(日産婦、“新型出生前診断”を一般診療として実施する方針 – FMC東京 院長室)ですが、この件についてはいろいろなところで話題になっていて、少し注目されてきているようですね。2日前にも、以下のような記事が出ていました。
www.asahi.com実はこの記事、最初に見たときは、“「命の選別」なのか 新型出生前診断、開始から5年” というタイトルだったのですが、タイトルが変更されたようですね。この記事の中でも意見を述べている室月淳・宮城県立こども病院産科長(ここではこういう肩書きになっています)あたりから、変更すべきという指摘があったのか、あるいは内容を見て朝日新聞社側で変更が妥当とお考えになったのかでしょうか。記事内の細かいところでは、いくつかツッコミどころもあるのですが、細かいことはおいておいて、ここで登場しておられるお二人の医師の意見を見ていきたいと思います。
ここでは、前述の室月医師と、玉井浩・大阪医科大小児科教授の2名の医師が意見を述べておられます。玉井医師は、ご自身もダウン症候群の娘さんをお持ちで、公益社団法人日本ダウン症協会の理事も務めておいでです。
室月医師は、私と同年代で同じような分野の仕事を中心にしてきた人で、ずっと同じ問題意識を持ってきたこともあって、以前からここで私が述べてきたことと重なる内容も多いようです。では、玉井医師はどのようにお考えなのでしょうか。
私は当初、この検査が広がることについて、もっと批判的な意見をお持ちなのではないかと想像していました。しかし、そうではなくある意味では室月医師と同様に、検査技術の発展を止めることはできず、その恩恵を受ける人も実際におられる中で、一律に規制しようとしてできるものではない(あるいはそうすべきことではない)というお考えをお持ちのようでした。お二方に共通する考えは、この検査技術をどのように使用していくべきなのか、熟考するとともに態勢を整えて、いろいろな問題点については現実的な解決策の模索を続けるべきというものではないでしょうか。しかし玉井医師は、いまの検査体制のあり方には不十分な部分があると感じておられ、そのまま広がっていくことに対して危惧しておられるようです。
玉井医師の意見を読みつつ、当院で検査をお受けになる方々のことを思い浮かべていました。いろいろな方が検査を受けに来られ、人はそれぞれ違いがあるものだとつくづく思います。検査の内容について、検査でわかることはなにか、自分の状況に合致した検査の選択は?などといった命題に、しっかりと向き合って、情報収集して臨もうという方は、遺伝カウンセリングでも専門家の話をよく聞いて、その上でご自身でやるべきことを決定するというゴールにたどり着きます。しかし、皆が皆、そのように遺伝カウンセリングの過程がうまく流れるわけではありません。知らないことについてよりよく知ろうという姿勢が見られない人、少ない、あるいはあまり正しくないがどこかで伝え聞いた曖昧な情報をもとに、自分が気になったことだけわかれば良いというような人が時々おられます。そのような場合には、遺伝カウンセリングもうまく進まず、徒労感を感じることもあります。いろいろな工夫をしたり、時間をかけて資料を用いて話をしようとしても、いつもうまくいくとは限りません。このような理解のギャップはどんな場面にも常に存在し、ダウン症協会の方々も、これには四苦八苦しておられるのだろうなと想像します。
指摘しておられるように、遺伝カウンセリングを行う担当者の知識や技術を向上させることは確実に必要で、現状ではまだまだ信頼できるレベルに達しているとは言えない部分が多いと感じています。ただ、検査前の遺伝カウンセリングで、それまでほとんどなんの知識もなかった人を深い理解のレベルにまで持っていくことは不可能に近いとも思います。もっともっといろいろな情報が(それはダウン症候群そのものやダウン症候群を持つ人たちの生活の実態などもそうだし、検査の選択肢や検査に関する情報も同じく)わかりやすく、多くの人に伝わる努力が必要だと考えています。
人は、知らない事柄に対しては、恐怖心が芽生えるものです。よく知らないまま突然そのよく知らないものを目の前に提示されるよりも、提示される前に知識を得ておくことが何よりも大事だと思います。このことは、検査の内容についても、病気や障害についても同じこと。知らないまま、不確かなまま、人に振り回されたり、曖昧な選択をしたりしないで、普段からいろいろなことについて、よく考えながら生きていくことが大切だと、声を大にして言いたいです。
最後に、玉井医師の意見の中で私が少しひっかかったところについて述べておきます。それは、中絶を選んだ夫婦の心のケアについて言及しておられる部分です。このことはすごく重要です。私もこれまで多くの人工妊娠中絶を行ってきましたが、その処置を受けた方のその後のフォローなどには、ほとんどタッチしていませんでした。しかし、ある時私の元同僚の助産師が、妊娠中絶を受けた方々の処置前後の心理状態の研究をした報告を目にして、自分たちが行ってきた処置の裏側にある深い闇を覗いたような気分になりました。こうした経験から、ここで述べられている、継続的な相談窓口の設置などの方策には、賛成します。その一方で、この問題は、中絶後の問題だけではないという思いもあります。中絶という行為が、深い罪悪感を抱く行為なのだと認識されているとしたら、私は全面的には賛同できませんが、世の中にはそう認識しておられる方が多いのではないでしょうか。また、罪悪感を持たなければならない、持つべきだと考えておられる方も少なからずおられると思います。しかし私は、この罪悪感についても、もう一度よく考える余地があると思っています。人工妊娠中絶をどんどん推奨しようというわけでは決してありませんが、そこには女性の主体的な選択という側面があっても良いと思うのです。今は、中絶そのものが「悪いこと」とひとくくりになっているような気がしてならないのです。だから、必要以上に罪悪感を植えつけられてしまう部分があるのではないでしょうか。当院で遺伝カウンセリングを受けて、最終的に人工妊娠中絶を選択された方の中には、もちろん自身の体内に宿っていた命の萌芽に対する喪失感をお持ちであっても、しっかりと向き合ったうえで熟考した結果として、自分で選択して、自力で分娩し胎児を見送ったという、ある種達成感に似た感情を持たれる方もおられます。中絶後の心のケアはもちろんですが、その必要性を強く感じるほど深刻なレベルになるケースが多くなるとしたら、そこには中絶そのものの捉え方の問題や教育の問題もあるのではないかと思います。中絶後の問題だけでなく、中絶の前の段階から、考えを変えていく必要があるのではないかと思っています。