私たちは毎週、ZOOMでの外部参加者も入れた短時間の院内勉強会を行っているのですが、先日の症例検討会で扱った話題が、自分でも示唆に富んだ課題を感じるものだったので、ちょっとまとめておきたいと思います。
人間の体の各部位が、今生きて生活している人々の形になるまでの過程は複雑
きっかけは約3年前に当院を受診された方からの新たな相談でした。当院受診後に生まれたお子さんに疾患があるのですが、今回新たに妊娠するにあたり、急に次のお子さんのことが心配になってきたという相談でした。
前回受診理由は、他院で胎児のNT肥厚(一般に首の後ろの「むくみ」と表現されていることが多い)を指摘されたことでした。当院の検査でもそれが確認されましたので、羊水穿刺による染色体検査を行い、G分染法で核型正常と判定されました。胎児のご両親は染色体異常についてたいへん心配しておられましたので、この結果を得て安心されました。
その後、妊娠19週に胎児超音波検査を行ったところ、心臓そのものには異常はなかったのですが、心臓から出ている大動脈の進む位置が通常と違っていることが見つかりました。通常、大動脈は心臓の左心室から上むきに出た後、後ろ左方向に進み、気管の左側を通過する大動脈弓を形成してターンし、体の下方に進んでいきます。しかし、この胎児では心臓から出た大動脈は気管の左ではなく、右側を通過していました。
人間の体の各部位が、今生きて生活している人々の形になるまでの過程は複雑で、そのごく初期段階のまだ基本的な人の形になっていない時点では、数多くの血管が存在しています。これらの多くの血管のうちのあるものは退化し、あるものは残って発達を続けることになるのですが、時にこの残るものと退化するものとの選別が通常とは違ったものになることがあります。
例えば大動脈は、元々は左右2本となりうる可能性のある形をしていて、通常はそのうち左側が発達して右が退化するところ、右側が発達する形になることもあれば、左右2本残った形になる人もいるのです。またこういったことと関連して、心臓そのものの左右の各部屋のつくりや左右を隔てる壁の形成、角部屋と血管とのつながりなども、バリエーションが生じることがあります。
こういったことが起こる問題の根本には、遺伝子の働きや遺伝子からの指令の伝わりの違いなどが存在します。
22q11.2欠失症候群とは
大動脈が気管の右側を通る形(右側大動脈弓と言います)であるときに、心臓そのものにもつくりの問題が存在していることがあります。このような場合、私たちは22q11.2欠失症候群の可能性を考えます。22q11.2欠失症候群は、22番染色体のごく一部が欠損していることが原因となって起こる様々な病的状態を備えた状況で、詳細については以下のページを参考にしていただけると良いかと思います。
22q-pedia 東京大学医学部附属病院精神神経科・22q11.2欠失症候群メンタルヘルス専門外来の情報提供ページ
この疾患は、一般にはあまり知られていませんが、出生児の約4000〜5000人に一人の頻度で発生するとされており、この数はよく知られている18トリソミーよりもやや多いぐらいですので、男女ともに生じる染色体異常に基づく疾患としては、ダウン症候群の次に多いという言い方もできます。
私たちが円錐動脈幹の異常と呼んでいるタイプの心臓の構造の問題に、右側大動脈弓を伴っている場合には、胎児が22q11.2欠失症候群である可能性を考えることになるので、その可能性が高いか低いかを考えるための情報として、胸腺の大きさの評価を行います。心臓そのものに大きな問題がなくても、右側大動脈弓がこの症候群を見つけるきっかけになりますので、私たちはこの胎児についても胸腺の大きさを測ったところ、22q11.2欠失症候群の疑いにつながる大きさだと考えられました。
22q11.2欠失症候群において見られる染色体の構造の問題は、一般的に行われているG分染法という染色体検査の方法では、見つけることができません。このため、このお子さんの羊水検査の結果も、核型正常という結果になっていたわけです。私たちは22q11.2欠失症候群の可能性についてお話しし、関連資料(書籍など)をお渡しするなど、この病気に関する情報提供を行うとともに、追加検査の案内をし、検査希望の有無を伺いました。
難しい情報をどのように伝えるか
ご夫婦はおそらく混乱されたことと思います。説明を行った際に、この妊婦さんは「追加検査を行ってこの疾患であると判明した時に、それをどう考えて良いのかわからない。」とおっしゃいました。染色体は正常と認識しておられたところに、聞いたこともない新たな難しい情報が与えられことで混乱されたことは想像に難くありません。検査を行うかどうかに関する決定も簡単ではないかと思われましたので、可能な限り丁寧に説明するとともに詳しい資料をお渡しし、後日の回答を待ったわけです。
それから数日してご夫婦より回答があり、22q11.2欠失について調べる追加検査は行わずに出産を目指したいという結論が告げられました。これに基づいて私たちは、心疾患を持つ胎児の管理が可能な病院宛に、それまでの経緯を記した診療情報提供書をお送りし、周産期管理を依頼することとなりました。
後日、紹介先の担当医より連絡をいただき、無事出産され、出生した児も大きな問題はなく経過しているということでした。
この時の妊婦さんからの相談だったのですが、それによると、この時生まれたお子さんは、2歳になってから22q11.2欠失症候群と診断されたとのことでした。私たちは疑問に思いました。そもそも22q11.2欠失症候群の可能性があると説明していたはずだし、そのことについては医療機関宛の診療情報提供書にも明記していたはずです。なぜ2歳になるまで診断されなかったのでしょうか。
相談に応えるべく連絡を取り、経緯を伺いました。このお子さんは、出生後に大きな問題もなく退院されたのでしたが、たびたび痙攣発作を起こすことがあったので、生まれた病院から近隣の大学病院に紹介され、検査・管理を受けておられたようでした。しばらくは対症療法で様子を見られていたようなのですが、あるとき乳児によくある感染症に罹患した際にこの痙攣発作が連続するようになり、その原因についてよく調べた結果、低カルシウム血症が見つかったのでした。この症状は22q11.2欠失症候群でよく見られる症状の一つで、そういう話が医師から出てきて、この時にはじめて「そういえばこの子を妊娠中にその疑いの話を聞いたことがある。」という記憶が蘇り、医師に伝え、染色体検査を行うことになり、診断に至ったという経緯でした。
このお話を伺って、私は愕然としました。
資料もお渡しして丁寧に説明したつもりだったし、その時には検査をするか否か悩まれただろうに、記憶に刻まれていなかったのだろうか。説明が不十分だったのだろうか?
出産する病院に宛てた診療情報提供書にも、22q11.2欠失症候群を疑っている旨は記載してあったのに、お子さんの出生後にはその情報は小児科医には伝わっていなかったのか? われわれが提供した情報に基づいて、その可能性があり得るお子さんとして検査・フォローしていく予定はなかったのだろうか。その病院から大学病院に紹介される際にも、そういった情報提供はなかったのだろうか?
紹介した病院は、生まれつきの心臓の病気にしっかり対応することのできる施設であると同時に、遺伝診療部門も備えている病院だったのです。産科医と小児科医との間で共有される情報に詳細さが足りなかったのか。私たちが紹介する際に、産科医あての手紙一枚で済ませるのでなく、小児科医にも伝わるように連絡を取り続けるべきだったのか。ご夫婦にも、胎児期に検査をしない選択をされた場合であっても、生まれた後にはまたしっかりとお子さんを見てもらって、必要に応じて検査を受けるようにしつこく言っておけば良かったのか。
もしかしたら、私たちが提供した情報の中に、ご夫婦が染色体の詳細な検査を望まなかったという記載があることをもとに、この夫婦は子どもの遺伝学的検査を臨んでいないと解釈されたのだろうか?胎児期に検査をするかどうかと、生まれたお子さんの症状をもとに必要な検査を行うこととは別次元のはずで、適切な管理を考える上で、染色体検査はもっと早い段階で考慮されるべきだったのではないだろうか。
22q11.2欠失症候群と出生後早期に判明していれば、低カルシウム血症による痙攣発作を制御・軽減することが可能になり得、ひいては知的発達の遅れを軽減できる可能性につながるという報告もあるので、私たちが提供した情報がしっかりと利用されていれば、もっと早く診断がつけられ、より良い管理につなげられた可能性もあったのではないだろうか?などなど、いろいろ考えました。
この経験は、私たちにとっても、示唆に富むものだと感じられました。
遺伝学的検査が積極的に行われない現状
私たちのところに舞い込んでくる様々な問い合わせの中に、現在育てているお子さんの病名がはっきりしないうちに次の妊娠をして、何をどう調べるべきかという相談が時々あります。そして、そういったケースにおいて、お子さんの遺伝学的検査があまり行われていない現状があることが、気になっていました。何らかの病気や問題を持つお子さんがおられる時に、次の妊娠で生まれてくる子に同じ問題が起きたりはしないかという心配が出てくるのは当然のことです。しかし、こういったことを調べる検査にとって最も重要な情報は、今いるお子さんの病気の原因は何かということです。原因が明らかになっていれば、その原因が今回も存在するのか、どの程度の割合で同じ問題が生じえるのか、どうすれば避けることができるのか、など考えることが可能になります。しかし、この情報がないままだと、次のお子さんに関しても、病気が存在するのか否かについて絞り込んでいくことは容易ではありません。
ところが、どうもわが国の小児医療の現場では、この種の遺伝学的検査があまり積極的に行われない現状があるように感じます。
このことは、前記事とも関連する問題です。
前記事では、日本産科婦人科学会主催の「生命倫理について審議・監理・運営する公的なプラットフォーム」(公的なサポートを受けアカデミアと社会が共同して設立する)についての公開討論会に関する話題を取り上げましたが、この中の大事な話として生殖医療の現場で行われる着床前診断の問題があります。副題として、“できる”ことはすべてやっていいのか?“ダメ”だとすれば誰が止めるべきなのか?と書かれているように、受精卵の診断として遺伝学的検査をどこまで行うべきかという問題が常に話題になります。
疾患の原因となる染色体や遺伝子の変化について検査して、問題が見つかった場合にはその受精卵は使用しないという選択は、「命の選別」であるとか、病気を持つ人たちを「排除」する思想につながるという指摘があり、このことが、小児領域においても遺伝学的検査を迅速に進めることの足枷になっている印象があります。お子さんの将来の治療や管理のためには、遺伝学的検査に基づく情報の必要性は理解されていても、そのお子さんのお母さんは次の子どもを欲しいと思っているかのしれないから、次子再発を考慮してその検査を早めに行おうという考えには繋がらないのです。
『「滑りやすい坂」への懸念』という言葉
この公開討論会の資料を読み直しているのですが、出生前検査認証制度等運営委員会の会長を務めておられる岡明先生の講演の中で、『生殖医療における生命科学の新規技術への懸念』というタイトルのスライドがあり、ここに『「滑りやすい坂」への懸念』という言葉が記されていました。この言葉は、遺伝学的検査技術が日進月歩ですすむ中、それをどのように応用・制御すべきかを考える際に大事な視点だと思います。この懸念が実際に私たちの身近に示された例として、乱立する無認証施設によるさまざまな検査項目を備えたNIPT実施が頭に浮かびます。
ただ、この「滑りやすい坂」への懸念という言葉は最近、出生前検査や着床前検査の議論の場で、検査を積極的に進めていくことに対してブレーキをかける立場からの発言のなかで頻繁に耳にするようになってきていて、遺伝学的検査全体にわたって抑制的になってしまうことを逆に危惧しなければならないようになってきています。個々のケースに応じて、しっかりと滑らないようにする対策を講じながら、必要な検査を実施していくことが大事だと思うし、そのために専門医制度や遺伝カウンセリングという場があるのではないでしょうか。
一般診療の場で、最新の技術を扱うレベルに達していないものが、無制限にその技術を駆使することは厳に戒められなくてはなりませんが、専門家が対応する遺伝診療の現場で、ただひたすら抑制的な対応を受けたという話も実はよく耳にします。滑りやすい坂ははじめから避けておけば、滑り落ちないで済むという姿勢で臨むばかりでは、その坂を下って手にしなければならないものがある場合に、それを放棄しなければなりません。そうではなくて、滑り落ちない手段を駆使しつつ上手に下る方法を考えて、時には少し下ったところからまた上って来れるように工夫することが、専門家が選ぶ道ではないだろうかと、私は考えています。
追記 NIPTの裏門
ここで取り上げたスライドの内容については、スッキリと納得できない部分があります。『生殖医療における生命科学の新規技術への懸念』というスライドです。
- 血液検査でも可能なNIPTなど、国内でも大きな門戸が開かれている。
と、記載されているのですが、これは大きな誤解なのではないかと思うのです。
まず端的に言って、NIPTについては『大きな門戸が開いている』とはとても言えません。
このブログでも何度も取り上げてきましたが、私たちは遺伝カウンセリング体制を整えて診療を行ってきた出生前検査専門施設として、NIPTを実施できるようになるまで、9年半待たされました。業を煮やして強行申請をおこなってから5年、昨年秋からやっと実施できるようになったわけですが現在も検査項目は限られており、実施施設数もまだまだ少なく、かつ厳しく管理されています。
一方で、正式なルートを使わずに、勝手に実施している無認証のクリニックがたくさんあります。多くの種類の検査を無制限に行い、盛んに宣伝しています。イメージとしては、表門は少ししか開いていない上に頑強な門番がいてしっかりと見張っているのに、裏門が無防備に開放されているといったところでしょう。
この状態を指して、「大きな門戸が開いている」というのはおかしいです。
裏門を利用することで所属するコミュニティから仲間外れにされることを避けたい人たちは、なんとか表門から入れるように努力することを強いられるわけですが、その努力に時間を裂けない人たち用に、表門とは別の場所に出入り自由な門も用意されています。しかし、この門から入った先では正確性の乏しい情報しか得られない(この喩えは、クアトロテストなどの旧来の検査をいまだに行っている件です)ので、よけいに混乱を助長しています。
本当におかしな現状なんです。これを是正することが喫緊の最優先事項だと思うのですが、その認識が認証制度運営委員会の側では薄いのではないだろうかと思えてきます。
そんなだから、無認証で散々やってきた大手クリニックの関連検査会社を認証したりしてしまうんですよ。出生前検査の歴史的経緯や今ある問題の全体像について理解を深めていただきたいです。小児科医の視点から検査を制御することに力が入っていて、認証を目指す産婦人科の施設を制限することが重視され、野放し状態の無認証クリニックチェーンに対しては有効な制御方針を打ち出せないことは、困ったことだと感じています。大きな門戸が開かれているのではなく、裏門を勝手に開いてしまっている連中がいて、制御できないでいるのです。このような事態に陥ってしまった原因について、この検査の制御を担ってきた立場の方々は、やり方のよくなかった点についてきちんと振り返って、この国の出生前診断が正しい形できちんと前に進めるようにしていただきたいと思います。